先日、お米の配達にうかがった際に、お宅にお邪魔させていただき話をしていた。
その方は以前、奈良県で幼稚園の園長さんをされていた方で、園児の農業体験などでお世話になっていた青年の農業者がいたという。
その方は私のような新規就農者で頑張っていたそうだが、周りの農家から意地悪をされるようになり、ついには農業を辞めてしまったという。
先進的な農業のやり方ではあったが、それが周りの農家からは認められず、看板を立てるにしても周囲の人たちへの配慮が足りなかったのか、除けるように言われたり、保育園バスが来たときには農道で邪魔になったのか意地悪をされていたという。
詳しい話は聞かなくても大方のところ、見当がつく。
それは、その青年が農業というものが日本においてはどれほど地域性が必要な事かを理解していなかったのではないのかと思う。
そして、それを教える周りの農家がいなかったのではないか、と。
今現在、農業を志す若者を欲しているのはどこの農村地域でも同じだ。だから、この青年もある意味では先進的な農業で地域を活性化しようと意気込んでいたのかもしれない。また、それを応援していた方々も少なくないはずだ。
しかし、農業をする以上、守らなければならないルールがどうしても地域には存在する。一見すると、古臭くて面倒な人間関係や、無駄だと思われる出事の数々。
これらを守ることと、今までの常識にとらわれない農業をすることとは違うということだろう。
かくいう自分も周囲の農家からしてみれば今までの常識からは考えられないことをしてる。そのため、なるべく自分は周囲の迷惑にならないように最低限のマナーは守っている、つもりではある。
それでもなかなか自分のやり方を貫くということは地域の中の農業であるだけに難しい。