運命


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私は大学生の時、大分のなずな農園の百姓、赤峰勝人さんと出会った。

そこで、2泊の百姓塾に参加し、サインをもらった時にこの言葉をもらった。

この言葉の意味を探求しようとしても、すぐに堂々巡りに陥る感覚がある。

それはそうだ。循環なんだから、と。

全てとは何か。

循環の中に、何があるのか。など。

ただ、この人に出会い、この言葉をもらったことから始まったのは確かなようだ。

確か、といいつつ不確かな「ようだ」をつけるところに循環している思考が見て取れる。

そして、この字に出会った。

これは妻の大学時代の友人に書作家さんがいて頼んで書いてもらった。

もともとは、お米の袋がなくなり、住所も新しくなったため、版を刷りなおして印刷する必要があったため、どうせ版を作るならいい人いないかなぁと思っているところに妻からこの人を紹介してもらった。

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だからもともとはこの屋号を書いてもらうためだった。

以前、農業福島園も次のステップに来たと思い、屋号を新しくしたいなどと考えていたが、特に思い浮かばずにいたため、変わらずにこの名前で書いてもらった。

こんなすばらしい字を書いてもらったのだからもう当分屋号を変えることは無くなった。

これが運命と言わずして何と言う。