私は、昼は祖母に、夜は母にご飯を食べさせてもらっている。
新築の母の家は気密がよく、玄関から風呂場まで満遍なく暖かい。
祖母の築45年の日本家屋は居間が北向きで薄暗く隙間風が絶えない。
それぞれの家でご飯をいただいているが暖かいというのがこれほど有難いことなのかつくづく思い知った。
それはさておき私の祖母、サヨ子ばぁちゃんはすでに70後半の後期高齢者。
すでに弟も妹もデイケアサービスに通っている中、自分は毎日孫と夫のご飯の支度をしている。
認知症の症状には味付けが濃くなるという場合があるらしい、と聞いた。
それがなんだか最近は祖母の作ってくれるおかずの味がどうも濃くなっているように思う。
それもそうだ、もう引退してもいい年齢なのかもしれない。
今まで自分とコミュニケーションを取りながら食事をするのもボケ防止にいいか、などと安易に考えていたが、ご飯を作るということだけでも相当な負担になっていたようだ。
もう自分のご飯は作らなくていいよ、といいたいが今度は母に頼むのももうそろそろ自立したいとも思う。
そんな矢先に今後の生活が変わることが起きた。
すべて万全のタイミングだったのかもしれない。この世に無駄なことは起きないとでも言わんばかりだ。