人の行動を注意するということは自分の考えをおしつけることにはならないだろうか。
人に教えられて成長をするということ自体が固定観念であるという広すぎる視野からいえば人は他人になにも言えないのか。しかし、人は支えあって生きている生き物は間違いなさそうだ。とするなら人にとって悪いと判断される他人の行動(言動)を是正することは人が生きるうえで自然と身につけた生存方法の一つなのか。つまり本能ではないかと。
他人に注意することをせず、本能を無に返そうとするべきか・・・
すべての人を認める。それもまた人の生存方法の一つ。この方法ならこんなこともかんがえずに済むか。