自分は好きなことをしている。
でも、時たまこれって本当にすきなことだっけ。いや、こんなことがしたかったんじゃない、もっと自由になりたいんだ!
とか思うことがある。
心屋仁之助さんのブログには「好きなことだけをやりましょう」とある。
そこで来た質問に対して「やりたいことをやって生きていくには一番やりたくないところを一度は潜りぬける必要がある」と書いてある。
正直最初は意味不明だった。
それでもブログを読み進めていくうちに、なんとなく分かった風でとりあえず目の前の仕事に精が出て今日中に仕事を上がることができた。
そこで、今一度ブログを見直してみた。
すると、そこにはやりたくないことを一度はやらなければならない、とは書いてなかった。
やりたくないところを、一度は潜りぬける必要がある、と。
いやぁ分かりにくかったなぁと思う。
なぜ分かりにくいかというと、読んでいながらに前もって自分で答えはこうだろうと予測して読んでいるからだろう。
やりたくないことに対して、潜りぬけるとはなにか。
目をそらすわけではなく、
スルーするわけではなく、
誤魔化すわけではなく・・・
ブログには続きにこうある。
「なにがいや、なのかをちゃんと言う必要がある」と。
自分の場合でいうと、今晩の仕事というのはお客さんに送付している百姓三昧だよりというニューズレターがあり、それの住所録の確認作業だった。
私はそもそも農業がしたくて百姓になったが、パソコンの前で夜な夜な事務仕事をするために百姓になったわけではない、だから一時的にまったくもってやりたくないことをやっているような感覚になった。
しかし、私は今の何がいやだと感じているのかについて漠然と考えていた。
実は自分がいやだと感じていたことは、夜が更けてきたにもかかわらず依然として精が出ずにフェイスブックやら天気予報やらを見ながらなんとなく過ごしている自分にいやになっていただけだった。
そもそも、夜になる事務仕事も覚悟の上で個人販売を始めたし、この仕事自体はさほどいやでもなく、むしろ集中して仕事をし終わった時の達成感が好きでやりはじめたのではないか。
もし、それが実は気が変わって夜中まで仕事をしないようにするのであれば、そう決めて、さっさとリビングに上がればいいだけの話。
何が「いや」なのかを考えず、自分のしたいことをするということにきちんとフォーカスすることが出来れば、人生は好転する。そう思った。