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2008-02

時間の全てをなげうって

「今という時間の全てをなげうって卒業研究をしあげろ、そうして全力を尽くすことでえられるなにかを知るために今はそれが必要だ。」

そう俺のゴーストがささやく。そしてこうも言う。

「そうやって全力をだしきることで自分が崩れることを体験することが必要だ」

俺は、自然と生きたくない生き方を一度は経験しないといけないと思い、したくないのにしようとする。そんな自分を第3者的視点でみえる。

卒業研究発表会まであと4日。

ツツジ科スノキ属ツルコケモモ

oxycoccus.jpg

2007年7月27日 撮影

いままで花にまったく興味がなかった自分だがこのできのいい写真(我撮影)をみて綺麗だと思えた。なにげにデスクトップ画像にしてみたりもしたが、なんだかこっぱずかしくなってもとの画像に戻してしまった。それとなく人様に見せたくなったのだとおもう。ブログとはそんなものだ。

 

ツツジ科スノキ属ツルコケモモ亜属ツルコケモモ節ツルコケモモ

Vaccinium oxycoccus L.

常緑性の亜高山植物。30センチほどにしか成長しないが木本性。園芸植物としても人気があるようである。ブルーベリーとの交配はなかなか難しいだろうがこのくらいの観賞用ブルーベリーとしての育種利用も考えられなくもない・・・。普通に考えれば突拍子もないところ。ツルコケはツルコケでいいじゃないか、というところでもある。

分類は「日本の野生植物 木本Ⅱ」(平凡社)による

百姓ブルース

百姓ブルース 百姓ロック

百の姓(な)をもつ俺らはなんでもじぶんでするのさ~♪

 

今日は夜に研究室を抜けて木ノ内農園であった打ち上げに参加してきた。そこで毎回ギターで歌を歌ってくれるやまさんの歌「百姓ブルース」。

以前やまさんは本気で歌手を目指した(らしい)人で挫折して農業の道をえらんだ。受け入れ先は我が東海大学阿蘇校舎の1期生の会社「木ノ内農園」。そこでもう何年も農業をしている。まさにサラリー百姓というか、小作人である。

イチゴハウスで火をたきながら歌を聴く。最近では味わっていない雰囲気に心が安らぐ。(歌はうまくなくてもw)

ありがとう、やまさん。ありがとう、木ノ内農園のみなさん。

 

 

敵を知り、己を知れば百戦危うからず

敵を知るはできれど、己を知るは容易なりけり。

 

苦は楽の種、楽は苦の種と知るべし

この世に苦も楽も本当はないと知れば、種などできぬもの。

 

ミクシィのプロフィールを少し変更しました。

好きな言葉。   考えること鶏のごとし

自作です。

 

名言に浸ってみた今晩でした。

口内炎にて味半減

病を負うと生活のいろいろなところで支障をきたす。たとえそれが口の中のちょっとしたできものでも日常のほとんどの時間がそのことに意識が向いてしまい集中できないなどの影響がでる。

今回の口内炎は口の端ではなく下唇中央よりやや右、すこしたらこ唇にしなければ上唇と接触する部分にあたるところ。そのせいで物を食べるときに口内炎が食べ物にあたらないように唇を避けて物を入れたり、かんだりしているせいで食べ物の味が半減してしまう。まったく、ウィキぺを見てみると口内炎は原因がはっきりしていないらしい。たぶんビタミン不足だろう。ママがいつも言っていたがチョコラBBを飲むとすぐに治ると。今は蜂蜜をつけて対処中。

おうどいろ

夜9時、一人で温泉「瑠璃」にはいりながら言葉にはならない感覚になった。色にたとえるならおうど色。

自分は純色が好きだ。自然界では存在し得ないからだと思う。機械的な青や赤、緑なんかが好きで服や小物にはこれらの純色を好んで選ぶ。自然がすきなのに身の回りはそんな機械的な色を置きたいと思うのもなんだか変な感じだがそれもまた個性だろう。

酢めし

白いご飯に甘いものは合わないとはよく言われてきたけど酢めしを作ってしったが相当な砂糖が入っているということ。

なんだ、ぜんぜん白いご飯にも砂糖って合うんやないか。だいたい餅も砂糖醤油とかあんことか合う。餅だって米には変わりない。なんで白いご飯に甘いものは合わないといわれるようになったのだろうか。

卒業論文発表まであと20日ほど

大学に来た目的が卒論の研究ではないのだがこの1年間、行きたい畑にもいかずに研究室に行ってきた集大成をなさねばならぬ時期になってきた。今までわけも分からずやってきたことが今になってその重要性に気がつく。学識をつければどうなるのか、たしかに他力ではあるがそれもまた面白いと、分かってきた。残りの数日間を今できる最大の努力で成し遂げよう。なんとなく。

人を注意する

人の行動を注意するということは自分の考えをおしつけることにはならないだろうか。

人に教えられて成長をするということ自体が固定観念であるという広すぎる視野からいえば人は他人になにも言えないのか。しかし、人は支えあって生きている生き物は間違いなさそうだ。とするなら人にとって悪いと判断される他人の行動(言動)を是正することは人が生きるうえで自然と身につけた生存方法の一つなのか。つまり本能ではないかと。

他人に注意することをせず、本能を無に返そうとするべきか・・・

すべての人を認める。それもまた人の生存方法の一つ。この方法ならこんなこともかんがえずに済むか。

日常

物事の道理を考えろという教授。なにも言わない父。物事に意味などないという兄。自由奔放な弟。優しすぎる祖父。うるさいほどよくしゃべる祖母。よく分からない母。寝てばかりいる猫。わが道をゆく友。マイペースな彼女。いつもニコニコしている農家。悩みながらもがんばる先輩。我流を貫く後輩。意味ありげな同僚。

雪化粧をした阿蘇山。いつも乾燥した研究室。居心地のいい車内。寒さになれた部屋。なつかしい空気の実家。夜も明るい実家。超山奥ちっくな畑。今はいないニワトリ小屋。行きなれた農家の畑。なんども通ったトンネル。見慣れた展望。暖かい日差し。気持ちいい湯煙。

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