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2010-02

人の繋がりがすべてを変える。

先日、日田まで通っている勉強会と同じ形式で宗像近辺の若手農家を集めて始めた。

自分が発起人なのだが新しいことを始めるにはとてもエネルギーが必要になる。

最近特にケツがしまっていなかった自分は自分自信でその弛んだそれにケリを入れてやった。

おかげで今までほとんどなったことのない肩こりと、高校生のとき以来の胃痛に一人でほくそ笑んで絶えていた。

本題だが、すべては人を介してやってくると、誰かが言っていた。

農業のやり方も千差万別で、この人と繋がらなかったらこんなことはしていなかったと思うようなことばかりだ。

また、自分の知っている人同士でも、面識のない二人を引き合わせることで不思議な化学変化を起こすこともある。

これもまた人の繋がりの面白いところだと思う。

今回始めた勉強会もいろいろな人を巻き込んでまた新しい何かが始まるきっかけになるだろう。

チーム後藤

img_1352久しぶりのブログとなってしまいました。

写真は同じようにご飯を炊いてビンに入れて蓋をしっかり閉めて放置しただけという試験物。すでに数年たっているらしい。

右が電子水という水で炊飯したご飯。左が水道水で炊飯したご飯。

右はまだご飯粒の形が残っている。そしてなにより腐っていない。

このような腐敗の試験は有機無農薬栽培した米とそうでない米という試験でも見たことがある。

この差が食べて健康になる食べ物と、食べて不健康になる食べ物の差であるといえないだろうかということ。

アレルギーの原因がわからないというが、このような食べものを食べ続ければ左のようになるのは単純な原因と結果だと思う。

今日も日田まで行ってきたが、行けば行くだけ新しい発見がある。

自分の目標は誰しもが思う、おいしいものを作ること。(安全安心は当たり前であるという前提)

しかし、そのおいしいものを作るためにはどうしたらよいのかを間違ってとらえ、普段している作業が本当においしいものを作るためになっているのかどうか、今一度確かめる必要があるのではないかということ。

一般的にしている作業が生産性を上げるためにしていることのように思われているが、実際には全くの逆で手間を増やし、さらには美味しくないようなものができるようなことをしている場合もしょっちゅうあるということ。

庭の改造

一人で仕事をしていると何かと不便なのがシートをたたんだり、重たいものを持ち上げたり、ホースの蛇口を閉めに行くのでさえ3倍の時間がかかってしまうこと。

今日も「あぁもう一人だれかいてくれたらなぁ」と思いながら庭石を必死に持ち上げていた。

そんな自分の一人農業だがとてもつよい見方がいる。

それはバックホーだ。去年、ブルーベリーのバークチップを運ぶのにどうしても必要だったので購入した。

まだまだ手のようにうまくは扱えないものの、80kgか100kgかわからないが重くてつかみどころのない石も簡単に動かしてくれる。

庭を改造したといっても倉庫への通路を1mほど拡張するため庭のスペースを削り取った。

大きい庭石が6つと、生垣になっていた木が2本、その奥に植えてあったボタンの木が2本。

生垣の木は切ってしまったが、ボタンは庭木のあいた所に植えなおした。

バックホーで土をえぐっていると横から祖母が顔を覗き込ませ「ここらへんにシャクヤクをうえとったんやけどねぇ~」

っと、後になって思い出したのだろう、すでに跡形はなかった。

ボタンの木は地上部が残るが、シャクヤクは地下茎だけ残り、地上部は枯れてしまうため新芽が出てこなければどこに生えていたのかわからなくなる。

祖父母が長年親しんできた庭を自分がいろいろと改造してしまう。

シャクヤクが消えてしまい寂しそうな面影で立ち去る祖母に申し訳けない気持ちがつのる。

植え替えたボタンも地上部からは想像もできないほど根が張っていた。根の大部分を切り取ってしまったため、ちゃんと植え替えがうまくいくか心配だ。

自分なりに仕事がしやすいようにいろいろと手を加えるのだが、仕事が生活である農家では自分の仕事が祖父の生活を奪っているようで、なんだかこれでいいのか不安になる。

ご飯の美味しさをもう一度

先日、お米を買っていただいている方にとても面白い話しを聞いた。

それはご飯という米の食べ方がいかに最高の食べ方であるかだ。

世界にはいろいろな米の食べ方がある。

中国では炊いたご飯に味をつけて炒める(炒飯)し、ヨーロッパではフライパンで炊いたり(パエリア)やオーブンで焼く(ドリア)。インドではカレー(汁っけの多いもの)と一緒に食べる。

その他、米を原料に麺にして食べたり、春巻きの皮などのように薄く延ばして食べたりする。

そんな米の食べ方がある中、日本では米は水だけで炊飯し、その炊いたご飯だけで食べるのが基本である。

この食べ方は、そもそも米そのものが美味しくないとできないのである。

だから、わざわざ米を米粉にしてそれもパンにして食べないでも、ご飯で食べるほうがよっぽど美味しいということを再認識すれば米消費の拡大になると言われていた。

今日もオリンピックのニュースを見ながらご飯を食べていたらおかずがなくなった。

一人暮らしのときはテレビを見ながらご飯を食べることなどなかったが、釘付けでテレビをみながらご飯だけをほうばると、そこで始めてご飯の味がして、今一度ちゃわんの中を確認してしまった。

新精米機導入

ついに精米機を新しくした。

今までの精米機は一般的なダイヤル式と呼ばれるもので、ネジを右周りに締めこむことで圧力をかけ、精米していた。

7分づきや5分づきといった分づき米の精米にはこのダイヤルを緩め、さらに流量を調節する必要がある。

この2つの調整で糠の取れ具合を見ながら行っていた。

しかし、このダイヤルによる分づき米の差は回す角度が3度か4度で5分と7分の差になるほど微妙なところだった。

それにこの調整は米を精米しながら行わなければならないため、安定しない間の米は製品にならないのである。

その間出てきた米は毎回1kg以上になる。これらの米を我が家では食べている。

5分づきなどの糠残りの多いものはもう一度精米機にかけることで白米近くまで精米している。

これらは2次精米であり良くない。

ずっとこのことをネックに思っていたところ、天草の米農家さんが新しく精米機を買い替えたということで、分づき米もボタン一つできれいに仕上がり、前後の精米不良も出ないということを聞いたことがきっかけだった。

以下、新しい精米機で精米したお米だ。写真の撮り方が下手なため、分づきの違いをうまく表現できていない。

実際に見てみるとよくわかるのだが、そこはご勘弁を。

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3分づきefbc95e58886

5分づきefbc97e58886

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白米e799bd

上白米

これでようやく胸を張って分づき米といえるような気がする。

今度のニュースレターでは分づき米キャンペーンなるものを考え中。

白米と分づき米ではまるっきり栄養価が違うため、とても健康的に良いと感じる。(あくまで自分の感覚のため、強要ではありません。)

それに、自分はなんとなくそう思っているせいか7分の若干糠くささが美味しく感じるのである。

とはいえ、7分でもそれほど変わらないので十分美味しく食べられるということを食べたことのない人に食べてみてほしい。

ちなみに、祖父母は白いご飯の貴重さを知っているためか、7分が若干混ざっていると不愉快に感じる様だ。

不愉快に思うほど白米がいいのであれば健康のためと無理に我慢して分づき米を食べるほうが心の病になってしまいそうなので、そんな場合はやはり美味しいと思うものを、美味しくいただくことが一番の健康である、と私は思う。

レンゲ生育中

img_4171去年の11月5日に播種したレンゲがやっとこの大きさ。

この写真を撮ったのは昨日なのだが、今日田圃の側溝に溜まった土をさらえていて、ふと目をやると畦にレンゲがもさもさに茂っていた。

たぶん、去年のレンゲがつけた種から生育してきたのだろう。

レンゲの種は土の上にあるのに夏場は芽を出さず、秋になると自然と発芽する。植物はちゃんと自分の季節をしっているようだ。

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