稲刈りをおおよそ終えて、最近思うこと


6回目の稲作がもうすぐ終わりを迎える。

6回目のこの間、あっという間であったことは言うまでもなく、種蒔きするときから夏の暑さを脳裏で思い描きながら、本当に稲刈りの時期が無事に来るのだろうかと、どこか他人事のように思っていた部分もあったように思う。

しかし、実際は時の流れは早いもので、いつの間にか11月になってしまった。

今はまだ、掛け干した古代米が乾燥するのを待っている状態で全て終わったわけではないが。

そんな今年の状況を改めて考えてみると、昨年の稲作のミス(失念していた部分)を取り戻そうと田んぼを意識するあまり、野菜を考えることがなくなり、ブルーベリーの管理にも気が回らなくなっていた。

さらには、段々と稲作自体の経営的規模も、栽培面積に対して設備が自分の理想からすれば狭く感じられるようになってきている。

そういった自分の現状と、環境破壊や化学物質の脅威、農薬・化学肥料を手放せない農業の現実を感じる。

こういった自分の状況がいつも失敗や至らなさの連続であることからも、社会全体がいつもそんな状況であるという縮図が、実は自分自身でもあるという皮肉な結論。

人間の世界はいつもねじれている・・・・のか。

そんなことを思うことと、もう一つは単純に“やりたいこと”だ。

自分には稲作や野菜作りのほかにやりたいことがいろいろある。

最近、試験的に作っている麦や大豆の経済栽培。

日本には昔から麦・大豆の食文化があったにもかかわらず、そのほとんどを輸入に頼るようになり、味噌風味の化学調味料などがあふれている。

それが良い悪いの話ではなくて、自分で作ると楽しい、面白いんだと思うことを再発見する。

家庭菜園とは違い、れっきとして経済栽培することができてはじめて本当の意味でも食に貢献できたと思える気がする。

その他にも畜産である。

一昔は牛や馬は身近な存在であったが、今では鶏を家庭用として買う農家も少なくなってきているのではないか。

お米を作っていると屑米が出る。一般家庭でもでる野菜屑だって鶏は食べてくれて成長し、卵を供給してくれる。

今はまだ祖父のペットとして数羽の鶏が福島家にもいるが、農協から配合飼料を買ってきている。

数年のうちには20~30羽ほどを自分なりに飼ってみたいものだ。

やりたいと思うことと、すでに手が回らなくなってきている感の現状。一見すると無理なようにも見えるが、結局はどうにかなるように思う。