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my哲学 Archive
人生の節目
- 2012-01-13 (金)
- my哲学
いつの間にかじぶんも26歳になった。
気がついてみればもう結婚していてもいい年齢だといえるだろう。
仕事も板についてきたというところか。
まだまだ先は長いが、この時点で人生の節目を迎える日が迎えられるのは嬉しいことだ。
明日、挨拶に行ってきます。
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辻井伸行
BS朝日で辻井信行さんの演奏を聴いていた。
音楽の奥ゆかしさを感じることはできたがどの程度深いのかなど凡人には到底・・・
まるで宇宙の広さがどれくらいなのかといった質問に似ている気がする。
楽しくて仕方が無いようだった。
まさに、好きなことを追求している人の姿だが芸術家特有というわけでもないはず。
音楽をするのに視覚は必要ではなかったという、盲目で生まれた運命を後付けのようだが感じさせるが、どちらが先など関係ない。
人に感動を与えることが楽しい、のだろう。
人が人として生まれてきたのはいろんなものを”感じる”ためにこの世に生まれてきていることを改めて感じさせてくれた。
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伝えることの重要性
カンブリア宮殿を見た。
今日はパティシエ。
海外修行の経験がないパティシエのチョコレートが最高の評価を得たそうだ。
そのパティシエは相当なポジティブ自立であり、だれもそのポジティブさを見習えというわけではない。
出てくる経営者はだれも真似できない人ばかり。
そりゃそうだ、だから一流の人になっている。
真似をする必要はない。
しかしいろんな勇気をもらう。
今日のパティシエが言っていたことで心に残ったのは「最高のお客は自分」であり、自分が望むものを追求すること。
そして伝えることの重要性。伝えるのは自分が追求したものについて。
簡単にいうとそんなところか。
そこで今日した仕事について私が感じたことを伝えようと思う。
今日は小麦を育てるために田んぼを耕起したのだが、麦を蒔くまでに考えないといけないことがいくつかある。
麦は水はけの良い畑に向く作物だ。
そのため、水を溜めることが前提である田んぼではそもそも不向きなのである。
そんな田んぼで麦を育てるための技術に弾丸排水という作業がある。
地中をこぶし大の直径の鉄球を引っ張って穴を貫通させることで、水の抜け道を作る作業。
祖父がその昔に麦を作っているころに使用していた道具があるのだが、倉庫の奥にしまいこんでいた。
それを引っ張り出し、何とか使えないかと試みたがトラクターとのジョイントの部品など、今日中にはそろいそうに無かったためこの作業はとりあえず断念した。
その代わりに田んぼの表面を水が流れやすいように溝を作ることで溜まらないようにしようと代替技術を考えたり・・・
結局は今日はとりあえず普通に耕起するだけになった。稲藁が麦の種まきの妨げになることと、一度土を起すことで田んぼが乾きやすくなるから、とりあえずは。
これらの新しいことにチャレンジすることはとてもワクワクする。
自分でつくった麦で焼いたパンが食べたい。ただそれだけ。
田んぼを見ながら焼きたてのパンを想像している。なんともワクワクする。
農薬や化学肥料を使わなくても、収量は少なくなるだろうが麦は作れると知ったからには自分で作らずにはいられない。
絶対おいしいだろうな、なにもパンを焼く技術など知らないが勝手にそう思う。
そんな思いで小麦を作りたいと思います。
今年は種を蒔くところまで出来ればいいかな。
来年は自分で食べれるだけの小麦が出来ればいいかな。
再来年には欲しいという方に渡せればいいかな。
その先は、周りが決めてくれるだろう。求められるようであれば答えるまで。
今年は私の小麦栽培元年にしたい。
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組織
今日は有機農業研究会として宗像市主催の環境フェスタに参加してきた。
このフェスタ開催にむけて7回の役員会議を重ね、展示の内容を考えたり会員の出欠を取ったり、それほどでもないが時間と手間を割いた。
もともと勉強会である団体なもので、この環境フェスタの出展はその勉強会の存在を知らしめることが意義となるが、それほど力を入れてまで参加しようとはならない。
会の存在を広めることでお米の販売につながればよいが、会員のみなが個人販売をされているわけではないので、協力してアピールするということにもならない。
組織というものは一つの目標に向かって一致団結して進むときその力を発揮する。
違う考えをもち、意見を交わすことで得られることもあるが、このような参加型の行事には・・・
リーダーシップという素質も持って生まれる才能かと自分の能力を客観視した一日だった。
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充足
- 2011-10-18 (火)
- my哲学
人は概ね何かに不足を感じている。
それは原動力であったり、改善の動機であったりするため、美徳として捉えられていることが多いように思う。
しかし、リア充なんて言葉を最近覚えたが、今の私は正にそれなのだと感じる。
充実(充足)、つまり「足りている」は、少しでも何かに「足りていない」と感じてしまった瞬間にそれは消え失せはしないだろうか。
ある身の回りに起きた事象について、不足であると感じるには容易い。
たとえば、忙しすぎてゆっくりする時間が足りない。逆の状況だとすれば、仕事が無くて収入が足りない。
これらは考え方一つで真逆になる得る。
その考え方の機転になるのが、「有難い」。
コップに水が半分入っていることに対して、半分しか入っていないという見方を、半分も入っていて有難いと思えば、それは足りていることになる。
私は1%なのか、99%なのかといわれれば、99%だろうが、どちらかといえば99%の末端より1%のほうが近いだろう。
そんな私が言えるのは、明日住むところ、食べるもの、着るものはある、と。
このことを教えてくれた先人は数日前に旅立った。
本当に、ありがとう。
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にがり散布
ミルキークイーンの穂が若干首を曲げるようになってきた。穂ぞろい期を過ぎたころ。
ここで稲ににがりと竹酢液を葉面散布した。
散布する時間帯は夕方から日が暮れる前まで。日が暮れてしまうといけないという。植物の生理は1日のうちで大きく変わっているからだそうだ。
1日で散布できる面積は限られる。最近は雨が多く、散布するタイミングが少ない。
写真は昨日で、今日は小雨がパラついていたので断念した。
この日、ホースを引っ張ったせいかまた腰をやってしまった。w
我ながら体の弱さにあきれる。
にがりと竹酢液の葉面散布、正直必要なのかどうか、疑問に思うところでもある。
散布の季節になったので稲に聞いて回った。「おーい、ミネラルはいるか~い?」
風は左から右に流れ、穂は横に首を振っていた。しかし、答えは無言だったように感じた。
というのも、植物というのは何が一番よいかではなく、栽培者の気持ちをそのまま表している様に思ったからだ。
先日のアイガモでもそうだ。親に良く似るようだ。
となりの稲を見てみると株がガッチリ太く、肥料が効いて緑が濃い。雑草は一本もない。その田んぼの耕作者はそんな性格の人で、すぐに顔が思い浮かんだ。
なにも正解などなく、その人が思うものがそこに現れるだけなんだ。
自分の稲を見ていると、まるで自分を見ているようだ。
だから、自分がにがりと竹酢液でミネラルを補給する事で、米が美味しくなると思っているのであれば、信じて貫くだけなんだと。
明日は晴れるかなぁ・・・
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無題
- 2011-06-12 (日)
- my哲学
雨がよく降ったのか田んぼに水が溜まっていた。
となり町から田を作りにきている人は光岡区の田植えが25日なのだが早々と代掻きをしていた。
自分は20日過ぎか。
苗作りにひと悶着あったことで思い出した書籍が二つ。
母校、作物学の片野教授著「自然農法のイネつくり」と、宇根豊著「減農薬のイネつくり」
どちらも読んだつもりでいた。
雨の中ぼちぼち読んでいるがなぜ今まで読まなかったのかとつくづく思う。
前者は21年前、後者は24年前の書物。
しかし、そこに書かれているものは戦後からその時までに培われてきた農薬や化学肥料を使用しない稲作に関する科学的実証が詰まっており、その内容はすでに完成の域にあると感じる。
それなのに今だなを稲作が農薬や化学肥料を使わなくとも育つということの認知度が低いことか。
一般の農家からしてもこの事実を聞かされても「ふーん」で終わってしまうことは実に惜しい。
忙しかったことへの反動で今日も仕事に念が入らなかったのだがそんな時こそ「人生の意味」を考える。
取ってつけるなら「今こそ日本の稲作に農薬・化学肥料は必要ないという事実を知らしめること」なんてかっこいいと思う。
会長を務める宗像市有機農業研究会でメンバーは農薬・化学肥料を使わない田んぼを1人1枚は試してみようと呼びかけたのもそんな考えからだ。
ずぼらな私が出来るのだから誰だってできるさ、と言いたい。
しかし、片野教授が人生を・・・かけたかかけていないのかは分からないがそのほとんどを農薬や化学肥料に頼らない稲作に傾けてこられても未だ現状はごく一部だ。
正直教授はスーパーマンかと思わせるエピソードを聞かされる度に到底私には真似が出来ないと思う。
そんな私が稲作に農薬や化学肥料が要らないと訴えたところでどこまで響くのかなど、もちろんそんなことを言っていてもしょうもないことは知っている。
それより自分の出来ることをすると考えれば、それは栽培者でないと出来ないこともあるだろうことも知っている。
第一に私が百姓になろうと思ったのは楽に生きたいからだ。
“楽に”、とは“楽しく”という意味。
なぜみんなわかってくれないんだ、なんて苦しみたくない。
そこで戻る。私の人生の意味とはなんぞや。
なるようになるさ。
しかし、なるようになるまででいいから何かしら生きる意味が欲しい。
それがあればもう少し気楽になれるんじゃないかと思う。
たぶん、誰かのためにと思えば頑張れる。
一番は身近な家族。
それは自分を育ててくれた親、祖父母より、その次の世代のことの方が頑張れると思う。正直。
もちろん忘れていけないのは自分の上の世代に感謝。
そこで小林正観さんは言う。
大切にしなければいけないのは目の前の人。
それは親がそこにいればそうだし、友達や知人だったりする。
はたまた名前も知らない人だったりもする。らしい。
そうなってくるとまたよくわからなくなる。
ブログはネット上に残る。
アナログで書く日記はどこかにいってしまえば分からないが、こんなところにこんな文章を書いて、老いて読み返すことがあるかもしれない。
そんなとき、自分はどう思うんだろう。
どんな状況になっていて、この文章を読むのだろう。
たぶん、今想像しうる最良の状況と心境で読んでいるだろう。
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一つに絞る
- 2011-05-26 (木)
- my哲学
私には定期的に送られてくるメルマガがいくつかあります。
そのうちのいくつかはすでに別の受信ボックスに入り、ほとんどみません。
残っているメルマガのうち、一つは毎日送られてきています。
そのメルマガを毎日見ているわけではありませんが、むしろほとんど見ていないのですが、今日はなぜかざっと読みました。
その題名が「一つに絞る」でした。
内容は販売に関するビジネスマン向けのメルマガなのですが、今の私に置き換えて考えました。
ここ数日、体調を崩しお客さんから痩せたのではないかと心配されてしまいました。
図星です。
食べて健康になる食を作ろうとする者が何をやっているんだというところですが、崩さないとわからない健康のありがたみ。
失ってみないとわからない愛なんてのと同じで、またそれにちょうどよいタイミングで現れる御示しの様なものです。
ちょうど良いタイミングなのかと思いました。
今年で家に帰って来て4年目の稲作です。
1年目は3月末に帰ってきて稲が収穫できるまで販売するものがなかったのでブルーベリーの勉強や野菜を作ろうとハウスを建てたりしました。
2年目は最初の年に収穫した減農薬のお米の販売開始と無農薬の米作りに奮闘しました。
3年目は無農薬のお米の販売とさらなる栽培面積の拡大で野菜やブルーベリーなどはほぼ見ていないに等しい状態でした。
百姓三昧だよりでもブルーベリーの生育不良は自分の観察不足だと戒め、今年こそはと腹をくくるもそもそも仕事量がそこまで追いついていませんでした。
ある人はいいました。今の私にとってちょうどよい仕事をしている、むしろちょうどよいことしか起こらない、と。
私は、私自信で今の状況を作りだしたんです。
その状況を私が望んだからその状況になったし、仕事が追いつかないことも、そもそも決まっていること。
その状況が自分をさらなる成長へと向かうと、自分で分かってやっているんです。潜在意識では。
お陰さまで、平成22年産のお米の販売はおおよそ目標に到達出来そうなところまでやってきました。
つまり、お米を栽培して自分で販売することで機械などを買ったり、自分ひとりが生活できる程度の収入がなんとか得られるという意味です。
しかし、私の青色申告はまだまだ赤字です。
それは、機械などの設備投資が4年目にしても絶えないこと、さらにブルーベリーなどのいまだ収益が上がらない作物への先行投資が続いているためです。
しかし、それもおおよそ落ち着いてきているのではないかと思っています。
むしろ、これ以上の投資をするのであればさらなる規模拡大を図らなければいけないと思います。
その折り返し地点に今、きている。そのサインが出たと感じました。
これからはもう少し、栽培に念を入れること。
念という漢字は今の心と書きます。
栽培に念が足りない。それは先日種まきをした水稲の苗が教えてくれました。
後日、そのことを書きたいと思います。
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アグリスクール第1講
15日に大学生アグリスクールが開催された。
これまでの準備やら会議などで自分の仕事以上に気を使った。
まだ自分の畑も済んでいないのに。。。
自分は大学の時にファーマーズという学外サークルで畑をしていた経験があるため、今回のアグリスクールについて初めからある種の諦めがある。
それは畑の醍醐味はなんといっても畑で野菜を食べるに限る。あくまで個人的だが。
そのためには講義がないちょうど夏休みに畑に出てくる必要がある。
そして、それまでにはいろいろな管理作業があるのだが、定期的に畑に来るのは数人に絞られる。
これははなから辛口な批評だがそうなるだろう。
それもそのはず、私は大学1年の時、ファーマーズに属していながら夏休みのほとんどを実家で無駄に過ごした。
それはさておき、現実に1講目にて情報交換として役立ててもらうために設置した掲示板だが学生の参加が無い。
盛り上がっているのは4Hだけか、と虚しくなる。
講義後、学生に1分間スピーチで数人に話してもらったのだがあの時の感動は本心なのだろうかと疑ってしまう。
まさにファーマーズの時の新入生歓迎コンパの時のあいさつの様だ。
人は若者に希望を抱くものなのだろう。
私は、自分でいうのもなんだが先輩農家からよく希望の目で見られていた。
しかし、今はその気持ちが分かる。
私の5,6才年下の彼らでさえ私に希望を見せてくれる。
だからこそ彼らになにかを感じ取ってもらおうと思うのだろう。
しかし、なにも期待してはいけない、すべきでない。それは、人を自分の思い通りにしようとしている気持ち。
私にできることは、ただ百姓が面白くて仕方がないと笑うだけだなw
いやほんと。
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もしドラ
「もしドラ」とは、もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーのマネジメントを読んだら、の略。
先ほど、NHK総合にてアニメ化されたのが全10話完結した。
結局、目標だった甲子園出場を決めてアニメは終わった。
私が見だしたのは4話目からであり、どうも1から3話目まではマネジメントに関することが多く出てきていたのではないかと推測する。
今週に入り、若干ドラマの部分が多くなったように思う。
しかし、なにはともあれドラッカーのマネジメントとの出会いのよいきっかけになった。
部分的に紹介されるドラッカーの言葉。しかし、アニメの中だけでは掻い摘んで、わかりやすく説明してくれてはいるが、もっと深く触れなければ難しい。
難しいことではないのかもしれないが、極単純な事ほど固定観念が邪魔をし、理解が難しくなるように思う。
はて、今何冊の本が未読のまま止まっているんだっけ・・・
もしドラで出て来た言葉で印象に残ったのは「イノベーション」。
私の社会的貢献の使命として、「稲は農薬も化学肥料も、そもそも要らない」というイノベーションを起こす。
私は4町の田んぼのほとんどの管理作業を一人でしている。今年は4町半。
その全てで農薬、化学肥料を使わない。
除草剤を使わなければ草が立つという固定観念をジャンボタニシがひっくり返す。
5回の基幹防除(病気や虫が出ようが出まいが農薬を散布する)をしなくても米は取れる。むしろ使わないほうが健全に育つ。
これらは指導とは真逆である。
これらが当たり前になると、無農薬の米は当たり前になり、誰もが求めやすい価格で販売されるようになる。
それが、顧客が望む安心・安全な地場産の農作物だと、私は思っている。
このイノベーション、結構短期間に広がるのではないかと、安直に考えている私。
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無題
- 2011-03-29 (火)
- my哲学
この2週間ちょっと、何度かブログを書こうとしたが、そう簡単にはいかなかった。
今の私に被災された方々にかけられる言葉は持ち合わせていない。
今も昔もこれからも、私にできることは私の生を全うすることだけなのではないのか。
普段どおりの生活ができていることがどれほどありがたいことであり、現代の生活は1本の綱の上にあると感じた。
スイッチを押せば電灯がつき、蛇口を回せば勢いよく水が出てくる。
スーパーには相変わらず外国産の小麦で作られたお菓子や麺類などが並ぶ。
ガソリンがなければなにもできない。
天災により気づかされたというか、気づかせてくれたというか、忘れていたというか。
逆のことも言える。
人間が作り出したモノや社会の仕組みはもろいかもしれないがすばらしく快適である。
その恩恵を受けられるのは一部の者だけかもしれないが、これらはわれわれが人間である限り否定などできない。
映画マトリックスではエージェントスミスが人間のことを“ウイルス”だといったが人間は個々の作用がいろいろなところで複雑に絡み合っている点でウイルスと異なる。
このことを人々は支えあって生きていると表現する。そこに感動があり美しさのようなものがあるのだろう。
私が今できることをすることで、巡り巡っていろいろな人の役にたったり、感動を与えたりすることができれば、私の存在意義は達成されると思う。ある程度は。
そもそもそんなものがあればの話しだ。
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相手の立場が分からない
今日もTTPのお話です。
まずもって初めに名言しておくが私は反対でも賛成でもない。
JAむなかた主催の地域フォーラムと題して教授がTPP参加反対の理由を述べられた。
アメリカの戦略により日本はすでに食料の面でも十分に操作されている状況にあることが分かった。
畜産の飼料のほとんどが外国産であることは知っていたし、それがアメリカの戦略であることは知っていた。それがもう少し踏み込んで勉強になった。
私の思うところはなぜこうも反対論者と賛成論者(もしくは反対論者を揶揄する批評家)は水と油なのだろうか。
悲しい。
今日の講演で外国はどれだけ食糧が大事なカードだと認識しているかを知れたし、日本がどれだ食料を存外に思っているかを知った。
しかし、反対論者を幼稚であるとする声はよくよく耳にする。
私は生産者だ。
すくなからず生産者の立場としてその現場を分かっているつもりでいる。
だからこそ反対といいたくなることもおおよそ分かる。
そして私は経営者である。少なからずその意識は持っている。
だからこそ単純に反対を唱えるつもりはない。
しかし反対論者の意見が幼稚だといわれるのはなぜだ!
こうも日本という一つの国の中で真っ二つに意見が割れるのか。
相手が相手をまったくもって理解できないようなこの状況はどこに原因があるのか。
お互いが自分の主張を裏付ける試算をし、お互いが相手の試算を非難する。
私が正しいのだ、と。
こうすればこうなるなど先の読めない現代において確信することは難しい。
お互いの意見をもう少し聞きましょうなどこの後に及んでという気もする。
結局はお互いの立場が違うために見ているものが違う。
意見がすれ違うのは当然といえば当然か。
結局結論が出せない私はただの生産者である。
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自分の身に降りかかる試練
- 2011-02-05 (土)
- my哲学
昼の時間も夜の時間も足りない。
しかし、我の身に舞い降りるカルマはその器なりのものの様だ。
自分という器以上のものはあまり降りかからないと。
その器にちょっと多めに、溢れるか溢れないか、その状況がその人の器を大きくしていくのかもしれない。
まだまだ自分にはやれる可能性があることを感じる。
しかし、限界突破のカギは責任感であったり、やらねばならぬ的な・・・背水の陣・・・ん~言葉が出ない。。。。
もっと危機感があれば出来るような気がする。
しかし、そんな状況でする事はあまり良い出来にはならないのかもしれない。
もっと出来の良い方法で、もっと先に進むにはどうしたらよいのか。
いや、焦らないでぼちぼちやろう。
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TPP 勉強会
先日の17日、JAむなかた青年部にて勉強会が行われた。
講師にJA福岡中央会の総務局農業対策部の方がこられて農協という組織がどういったものなのかや、TPPに関する事を説明してくれた。
TPPとは・・・
Trans-Pacific Partnership:環太平洋連携協定
であるわけだが、簡単にいうと物品貿易に関する全品の関税撤廃。さらにサービス貿易、政府調達、競争、知的財産、人の移動等をも自由に行うことができるという取り決め。
関税の撤廃はわかりやすいが、さらに以降の分がぴんとこないかもしれない。
説明であったのは競争でいうと、公共事業の入札に外国籍の企業が参入できるということ。
つまり、橋を建設するのに、人件費の安い外国人を使った他国籍の企業が参入すれば、安価で入札してしまう、かもしれない。
こうなると日本の雇用が奪われかねないとも言っていた。がこれはあくまで一例かな。
今回の勉強会で感じたことは3つ。
農協が農家をどう思っているのかということ。
TPPに関して多くの人が無関心であろうということ。
そして、農家は弱者であり、守ってもらわなければいけないものということ。
農協は農家をどう思っているのか、これはあくまで今回の勉強会の講師の話を聞いただけなので、いってみれば一般的なというところかな。
それは農協は農家のためにあるということ。
現在、農協は3つの危機に陥っているらしい。それは「信頼性」「経営」「思想」とのこと。
一番重要なのは思想である。
組合員である農家が農協というもののとらえ方が変わってきたのだ。
今までは農産物は農協に出荷したり、肥料や農薬は農協から買うことが当然であった。
しかし、いまでは出荷先は多方面化し、資材も一般企業から買う方が安い場合がほとんどとなった。
農家はJAを選択肢の一つと見るようになった。しかし農協側は組合員は農家あってのものという教育がされている。
実際に農協の成り立ちからいえばそうなのだが、今となってはこの意識のずれが大きいためいろいろな問題がでてきている。
はて、TPPに関してだがいったいこの国の農業はいったいどうなるのかと思う。
ここまで硬い話を書いても実際に見てくれる人はすでにそのことに関する持論をお持ちなのではなかろうか。
現在の日本の中ではわかりやすく賛否両論、真っ二つにわかれているのではないか。
農業はほとんどが反対なのだが、なかには日本の農産物が他国の富裕層向けに販売ができると賛成のところもあるらしい。(東北の米の産地などが例に挙げられた)
講師の方はTPPに参加することで起こる打撃を挙げていただいた。
そして、賛成論者の理由を一つ一つ否定しておられた。
私が聞きたかったのは、もし貿易自由化したとしてもつぶれない日本の農業を作るには今なにをしなければいけないのか、という先のこと。
これは時代のうねり。流れ。
逆らうより、身を任せ、先に何があるのか注視することが重要ではなかろうか。
変えるより、変わる。
明日食べる米の値段が気になる消費者を変えようとするより、自分が来年も農業をつづけるにはどうするかを考えるほうが楽だろう。
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土壌分析
今日はイチゴ屋ヒロ君のおうちにお邪魔してきた。
ヒロ君はイチゴ栽培でバクタモンという微生物資材を使っている。
その関連で知り合ったオーガニックランドという会社からの紹介で国の補助事業の一つを活用して簡易的な土壌分析を行うキット(49万円相当)を全額補助で購入した。
要件の中に農家のグループであることが必要ということで、自分も参加させていただき他1名の3名で事業に手を挙げた。
今日は会社の人がそのキットをもって操作方法を教えてもらいに来たわけだ。
上の写真は土から肥料成分などを浮かせる薬品を混ぜてろ過しているところ。容器はフィルムケース、薬品は醤油さしを使うなどコストがかからないように工夫されている。
ろ過したものを測定する肥料成分ごとに小分けし、発色させる薬品を混ぜる。
3番から9番がそれぞれ窒素であったりリン、カリなどの成分を分析する。
分析するといってもアクリルのこのケースを横から光を当てて透過する光量を測定することで発色量から肥料の含有量を算出するという仕組み。
これは簡易式であるにしろやることは大体同じなはず。
さて、ここまで農業にはこのようなこともありますという紹介だが、考えてもらいたいのはなぜ国民の血税を使い、このような土壌分析のために49万円もの大金が使われるかというところ。
土壌分析の目的とはその圃場にあった肥料設計をし、健全な作物を生育させるために行うことである。
しかし、現代の日本の農業では、特に施設園芸では肥料の過剰投入されていることがおおい。
昨今、世界の人口が増加するにつれて食糧危機が起こることが予想されているが、その食糧を増産させるためにも化学肥料は必要とされている。
その化学肥料が世界中で奪い合いになっていることをご存じだろうか。日本は他国にくらべその確保が後手になっているそうだ。
カロリーベースでみる日本の食糧自給率は40%以下となっているが、その自国で生産されている食糧のほとんどすべては外国産の化学肥料により支えられているのである。
ということは、無機的(化学肥料のこと)な視点も加えて日本の食糧自給率を見た時、それはすでに0%に限りなく近づいていると言えるだろう。
そこで最初にもどり、なぜ日本国が土壌分析に血税を注ぎ込むかだが、簡単に言うと土壌分析することで無駄な化学肥料の使用を避け、必要なところに十分にいきわたるようにするため、である。
土壌分析は一般の企業や農協、全農などでも行っているが、窒素・リン酸・カリウム・マグネシウム・カルシウム・マンガン・ホウ素・鉄などの主要な要素(約8成分か)を1回測定するのに3000円以上の費用がかかる。
今回のこのキットを使えば1検体600円未満で測定できるそうだ。
その代わり、測定した数値は大雑把であり、どの様な傾向があるという程度。
だが、施肥設計をするうえで細かい数値はあまり関係ないからとにかく安く、簡単にできる方法を現場では望んでいたのだ。
さて、これは現代の農業に関するお話だが、やはりここでも一つ上を行くのが有機農業ではないか。
化学肥料?そんなものは必要ない。自然界では必要な成分を補うために野草が生えてくるのだからそれを土に返してあげればいいだけ。
無理して反収を上げようとするからバランスが崩れ病気が入り、害虫がつく。
がしかし、だ。この土壌分析を継続することで植物の変化に関連性を見ることができ、植物の声を聞きやすくなるのではないかと私は思う。
土をさわっても違いがはっきりわからない。でもこれを使えば数値でわかる。
それだけでも面白い。やってみようと思う。
話は変わるがこのような車を見た。
自分の車にも簡単な「農業福島園」のステッカーを作って貼ろうかな。
「ファーマーズ」や「天下一」なんかもいいな・・・
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