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合鴨農法

img_5247今日は久しぶりのまとまった雨になった。

祖母と話をしていると、連日の晴れの後の雨は畑が潤うからうれしいとなる。これは畑をしているからこうなるが、団地の人はあまりそうは思わないだろうと。

写真はタニシに大きく食べられた自分の田んぼなのだが、水面が多く見えているせいか合鴨が飛来していた。つまり、自分が合鴨農法をしているのではなく、勝手に降りてきてえさ場としているだけ。

合鴨は普通の自然界では存在しえない鳥だ(マガモとアヒルを人為的に交雑したもの)。それがこのように宗像の大地を自由に飛び回っている。

合鴨は秋になると水田から離され、ある程度肥育したら肉としてさばかれる。これは自然界では存在しえない種であるため、放鳥を禁じているからだそうだ。

しかし、去年の7月の豪雨の時にも知人の合鴨水田は水につかり、合鴨は流されていったそうだ。

そんなことがそこそこでよく耳にするため、この前の冬でも川の流れの緩やかなところに合鴨数十羽が群れをなしていた。

無農薬無化学肥料と謳って自然をアピールする合鴨農法だが、こうして自然界の種を脅かす存在になってくるのも事実であることを考えると、

そもそも人間が作り出すものがすべて反自然的とする考え方があること自体、人間中心の物の考え方であることだと思う。

人間も自然の一部であり、こうして自然界に人為的に変化をもたらすことも一種の自然の一つなのではないか。

昨今ブームとなっているECOも、地球を守ると名乗っているが結局は人間の住処を守るということが本来の目的として隠されている様でならない。

2008年に公開されたキアヌ・リーブス主演の映画、「地球が静止する日」には地球外生命体が地球を人間の手から守るためにやってきた。

この映画は人間による人間への警告であるために、やはり事の中心には人間が地球にしていることが問題であると訴えている。人間が地球からいなくなれば地球は自然のままであると。

人間が二酸化炭素を出すから地球の平均気温を上げているのは事実なのだろうが、人間が二酸化炭素を多量に出すようになったこと自体もある種の自然の流れの中であり、いわば仕方のないことだと思う。

ということは、人間が地球を守ろうとすること自体も自然なことなのだと。

しいては、自分が農薬や化学肥料を使わないと決意したのも、自分で決意したのだが、自然と決意するようになっていたと。

すべては自然の流れの中で起きていること。

夢・目標

先日、徳島で酪農の仕事をしている先輩から電話があった。

そのなかで、市場に努めている後輩が休みなく続く仕事のことで悩んでいることの話になった。

しかし、この先輩も2カ月半休みなく働いているがなにも(精神的には)辛くはないという。その理由が「俺には夢があるから。」と一蹴。

聞いた瞬間、何か打ち抜かれたような気がした。ここまで明確で確固たる夢を持っている人は少ないと思う。

自分も夢宝地図を描いたり、夢に日付をつけたりしたこともあった。

しかし、自分はそもそも夢の実現に向けて努力することが大の苦手だったし、苦痛であった。

そもそも、自分は平穏な気持ちで日々を送りたいというこれも一つの夢の実現のために農業という道を選んだのだ。

そういう言い訳から大学卒業するころには生き方を変えていた。

決して変えた生き方が悪いわけではなかった。むしろ良かったと思う。それは日々、目の前のことを全力で取り組む。ただそれだけ。

自分にはこうしたい、あぁしたいというものはいっぱいある。だから自然と、無意識にしなければいけないことを自分で作ることができる。

そうすればやることは自然とみえてくるというもの。

実際やることは次から次へと湧いて出てくる。

しかし、一つ現状からわかったことがあるとすれば、それはこの生き方では熱が入らないのだ。

目の前のことを書き出してみるのだが到底一日では終わらないことに嫌気がさす時もある。

そこで、夢というスパイスによって人は燃えることができるのではないかと思う。

最近ブログの更新がされてないよ、といわれてしまいました。

心と体は一つ、一心同体とはよくいったもので、心が荒んでいると体も思うように動かない。

解体業でアルバイトをする若者が体がだるいと電話で恋人に訴えているのを横耳で聞いた。昼食中だったが食べているものはコンビニの弁当。目の前に原因があるのだが気付かない。

しかし、体がだるく感じているのはこの若者だけではなかった。

自分も同じような症状だ。しかし自分の場合は祖母のバランスのとれた食事を日に3度食べさせてもらっているので大丈夫だとは思っていた。

元気が出ないと夢や目標などもてるはずもない。今日を生きるだけで精いっぱいだ。

梅雨はすべてを腐らせる時期だという。

降り続く雨で根が腐る。高温多湿で有機物にはカビなどの腐敗菌が繁殖する。

人の心も活発に燃えていなければカビが生えるのかもしれない。

今、この世界には常でない何か(異常)が起きているのかもしれない。

農業新時代

これまでの農学は完全に変わる。しかし、すぐにではなく、徐々に、しかし着実に変わってくる。

いつの時代も常識があり、それ以外の非常識がある。この非常識の中にはまったく新しいがゆえに受け入れられずに非常識になっているものがある。

時間がたつとだんだんと認知され、そして常識となる。

これまでの農学とは、いうなれば化学肥料と農薬といっても過言ではないと思う。

だからこそ今の常識を信じて疑わない人はこれらなくして作物を作ることが受け入れられない。

今日届いた現代農業8月号。題名は「自然農法が知りたい」だ。

注目すべき点は知りたいという言葉。知りたいとはまだ一般には知られていないという意味。

一般とは現在一般的にしられている農学には知られていないという意味だと個人的に解釈した。

それでも少しずつ自然農法というやり方でなぜ作物が育つのかを科学が解明してきているということなのだと思う。しかしまだ駆け出しだ。

現代農業に書いてあることには多かれ少なかれ色が付いているので読む際には若干気をつけて読む必要がある。

最近になって新しい発見があり、覆された常識は多い。現在の農学の眼をもって未知の農法を科学しても出てくる結論は謎だらけ。

非常識が常識になり、常識が歴史となる。

私はこれから50年、100年後には常識となっているであろう農業の常識を感じながら自然を見ていたい。

仕事と思ってする仕事と遊びと思ってする仕事

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写真はタニシに食べられまいと水を落とした田んぼの様子。

黒い点がタニシ、水が溜まった部分には稲がなくなっている。写真の奥には高くなっていたために草が生えた。足跡が右に左に行った後であることが分かる。

仕事と思ってこのせめぎ合いを見ていると見ていられない気持ちになるが、遊びとおもって見ると案外楽しめる。

しかし、普通の農家からしてみるとところどころ食べられてなくなっている稲をみるとなにをしとるんだろかと思われるのではないだろうか。

早く硬く成長して食べられないようになってもらいたいものだ。

人の話を聞く。ただ、聞く。

ミヒャエル・エンデ作のモモはただ人の話をよく聞いていた。

それは本当はとても難しい。

異論反論そして同意論でさえ出さずに、ただ聞く。

人の話を聞いていると、その話に対して反応する気持ちがある。

それは相反するものか、それとも同調するものかのほぼ2択になる。

人の話を聞く上で一番良い方法(良し悪しという直線状の上下があるとするならの上という意味)は何か。

じつは同調という話への反応の仕方も一辺倒に良いとは言えないと思う。

同じような事例を出して話に相槌を打っているようにみえるが、いろいろな出来事のなかでそれぞれは個々人によって感じ方が違う。

だから、安易に体験談を話して相槌を打つことは実はづれているという可能性がある。

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