久しぶりに今の自分に思いふけってみた。
昨日、同級生2人(熊本と福岡市)と後輩(古賀市)の4人で酒を飲みながら話した。自分はハンドルキーパー。
後輩と福岡市の2人は食品の流通関係の仕事をしているため、話が合う。
専門用語が出たり、単価について、最近の動向についての話が進む。
しかし、この二人は仕事を辞める、もしくは辞めたいと思っている。
一人は仕事を来年(まる3年間)で辞め、施設で野菜の生産をしたいと話す。
もう一人は休みの無い仕事に日常生活のほとんどを奪われているため、普通の生活がしたいと話す。
この時点では私は幸福である。他人と比較することで自分が優位にあることを実感することで得られる単純な幸福感でいえば。
自分のしたい仕事を思う存分しているのだから。
ところが、その本人は最近自分らしいことができていないように感じている。
自分のしたかったはずの無農薬の農業をしているし、個人への販売もしている。他にはなかなかまねのできない農業をしている。
これが、自分を自分の欲求で推し量った場合の幸福感だろう。
まだまだ自分のしたいことはいろいろある。運動もしたいし、旅もしたい。バイクなどの機械いじりもしてみたいと思っている。欲。
結局のところ、人間であり尽きぬ欲求で今に不満を感じてしまう。
私は(傍から)どうみても幸福な人間であることは間違い無いにしても、足るを知る心がなければ無に帰す。
さて、人生とは何か。
何かを成し遂げるためにあるのか。
何かを学ぶためにあるのか。
そもそも、何も意味など無いのか。
時間が流れていく。もう今年も残すところあと1カ月半。
年も四捨五入で30になった。
今の人生を楽しむも、耐えるも、無意味に過ごすも心次第。
「生きたり望んだりすることに飽きないこと」。
私は人生とは何か、生きるとは何かということを考えることに飽きて止めないようにしたい。
もしそれに意味など無いとしてもこじつけでも当てつけでも思いこみでもそれの追求が私の生きる原動力になっていく
そんな気がする。