この2週間ちょっと、何度かブログを書こうとしたが、そう簡単にはいかなかった。
今の私に被災された方々にかけられる言葉は持ち合わせていない。
今も昔もこれからも、私にできることは私の生を全うすることだけなのではないのか。
普段どおりの生活ができていることがどれほどありがたいことであり、現代の生活は1本の綱の上にあると感じた。
スイッチを押せば電灯がつき、蛇口を回せば勢いよく水が出てくる。
スーパーには相変わらず外国産の小麦で作られたお菓子や麺類などが並ぶ。
ガソリンがなければなにもできない。
天災により気づかされたというか、気づかせてくれたというか、忘れていたというか。
逆のことも言える。
人間が作り出したモノや社会の仕組みはもろいかもしれないがすばらしく快適である。
その恩恵を受けられるのは一部の者だけかもしれないが、これらはわれわれが人間である限り否定などできない。
映画マトリックスではエージェントスミスが人間のことを“ウイルス”だといったが人間は個々の作用がいろいろなところで複雑に絡み合っている点でウイルスと異なる。
このことを人々は支えあって生きていると表現する。そこに感動があり美しさのようなものがあるのだろう。
私が今できることをすることで、巡り巡っていろいろな人の役にたったり、感動を与えたりすることができれば、私の存在意義は達成されると思う。ある程度は。
そもそもそんなものがあればの話しだ。
“無題” への2件のフィードバック
ワタシも黙々と、子育てをするのみです。 ただ、サイクロトロンのブログが大好きな息子が正しく成人するまで、責任重大ですね・・・
サイクロトロンについてぐぐってみましたが成人前のお子さんが読むようなブログではない・・・ということですよね?笑
子供は背中を見て育つので特別なことは要らないんじゃないかと、最近社会人になった弟を見て思ってしまいます。