人は概ね何かに不足を感じている。
それは原動力であったり、改善の動機であったりするため、美徳として捉えられていることが多いように思う。
しかし、リア充なんて言葉を最近覚えたが、今の私は正にそれなのだと感じる。
充実(充足)、つまり「足りている」は、少しでも何かに「足りていない」と感じてしまった瞬間にそれは消え失せはしないだろうか。
ある身の回りに起きた事象について、不足であると感じるには容易い。
たとえば、忙しすぎてゆっくりする時間が足りない。逆の状況だとすれば、仕事が無くて収入が足りない。
これらは考え方一つで真逆になる得る。
その考え方の機転になるのが、「有難い」。
コップに水が半分入っていることに対して、半分しか入っていないという見方を、半分も入っていて有難いと思えば、それは足りていることになる。
私は1%なのか、99%なのかといわれれば、99%だろうが、どちらかといえば99%の末端より1%のほうが近いだろう。
そんな私が言えるのは、明日住むところ、食べるもの、着るものはある、と。
このことを教えてくれた先人は数日前に旅立った。
本当に、ありがとう。
“充足” への4件のフィードバック
昨日の夕日はきれいだったね~。
小林正観さん他界したんだね。
ご冥福をお祈りします。
そうそう。しってたんやねって、俺が本をすすめたんだっけ?
福島から教えてもらったよ。CDをもらったね!
本は読んだことないな~。
CDやったねぇ
本もいろいろあるよ。