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2015-03

春起こし

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春が来た!

今朝のニュースでは福岡市内は桜が満開だと伝えていたが例年通り宗像は2,3日遅く、朝はまだ3分咲きといったところだった。

しかし、日中は21度まで上がり、4月下旬なみだったそうだ。

日暮れ時には7分咲きくらいまで桜も開いてきていた。

そんな中、田んぼの耕起が始まった。
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先週からトラクターに乗り始めたが、トラクターを買って5年目にして始めて爪を交換しなければいけなくなった。

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通常では1年で1回か多い人は2回、爪を交換すると言われる。

それは耕す細かさや深さによって磨り減る速さが変わるため、人それぞれ。

私はほぼ4年間、純正の爪で耕起してきた。

1年間に2回、1回につき平均4ヘクタールの作業だとすると、合計32ヘクタールを純正爪で耕起したことになる。

トラクターの稼働時間は370時間だったが代掻きは別の作業機で動いているのでおおよそ300時間程度か。

これが他の人と比べてどうなのかというと、私は知らないがただ、どうやらずいぶんもっているそうだ。農機具の店長が驚いていた。

なぜ爪がもつかというと、田を耕す深さが5cmととても浅く、さらにロータリーが回る回転数が遅く、荒くしか鋤いていないからだろう。

田を鋤く理由は、草を絶やし代掻きしやすくするためであり、代掻きをする理由は雑草対策と田の均平を保つためだ。

春に耕し、水を入れて代をかくことで草が無い状態で苗を植えることが出来、雑草対策が簡単になることが目的である。

稲が健全にそだち、草が生えなければお米は収穫できるはず。

であれば、深く耕す理由や代掻き前の時点で細かくする理由はあまり無いように思う。

探求すれば根の伸びや微生物の違いなどもあるかもしれない。

なににしても、違いに気づく目を持ち日々感じていくことが上達していくことになるのだろうか。

運命

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私は大学生の時、大分のなずな農園の百姓、赤峰勝人さんと出会った。

そこで、2泊の百姓塾に参加し、サインをもらった時にこの言葉をもらった。

この言葉の意味を探求しようとしても、すぐに堂々巡りに陥る感覚がある。

それはそうだ。循環なんだから、と。

全てとは何か。

循環の中に、何があるのか。など。

ただ、この人に出会い、この言葉をもらったことから始まったのは確かなようだ。

確か、といいつつ不確かな「ようだ」をつけるところに循環している思考が見て取れる。

そして、この字に出会った。

これは妻の大学時代の友人に書作家さんがいて頼んで書いてもらった。

もともとは、お米の袋がなくなり、住所も新しくなったため、版を刷りなおして印刷する必要があったため、どうせ版を作るならいい人いないかなぁと思っているところに妻からこの人を紹介してもらった。

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だからもともとはこの屋号を書いてもらうためだった。

以前、農業福島園も次のステップに来たと思い、屋号を新しくしたいなどと考えていたが、特に思い浮かばずにいたため、変わらずにこの名前で書いてもらった。

こんなすばらしい字を書いてもらったのだからもう当分屋号を変えることは無くなった。

これが運命と言わずして何と言う。

 

おにぎり屋

おにぎり屋知人に天神で働く女性曰く、

「お昼はおいしいおにぎり2個とお味噌汁があれば十分」と。

私も妻がいない時や料理したくないなぁという時に、家庭のような、ある意味ちゃんとしたおにぎりとお味噌汁が食べられるお店があればなぁとつくづく思う。

この女性とそんな話をしたのは昨年の種蒔きに手伝ってもらった時だったか。

ファーストフードやコンビ二、お弁当屋さんなど、お昼を取るには事欠かない天神だが、実際にそこで働いている人の中には昼食のニーズは完全には満たされていないようだ。

なにもこれは物欲のほとんどがそろう街中だけではなく、片田舎の宗像でも同じである。

買って食べるものにまともなものが無い。

そんな話で盛り上がった今日は、そんな欲求に答える「おにぎり屋」を始める第一歩となった。

昨年の種蒔きの時点ではまだ家はできておらす、加工場がなければ食品の営業許可がなく話も進まなかった。

昨年に家が完成し、ようやく構想からの1歩がはじまった。

おにぎりのお米はどの品種が向くかや、具材、汁物。結局はどれも普通に作ればおいしいものだったという。

もちろんどこにもない1級のおにぎりを目指すなら料理人にならなければならないが、とりあえずまともなものを提供することを念頭に。

こだわりはお米や野菜は無農薬のもの。

塩は天然海塩。

海苔も上等なもの。

具材も化学調味料、保存料が使用されているものは使わない。

汁物もちゃんと出汁をとる。

そんなおにぎりがお昼にたべられたらいいなと思う。

 

米ぬかぼかし散布

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先月6日に仕込んだ米ぬかぼかし肥料を散布する時が来た。

2月20日のブログにアップしている写真はもとが青白く移っていることもあるが、米ぬかが発酵して色が変わっていることが分かるだろうか。

はじめは握るとだまになるくらいの水分も、発熱による蒸散でこの頃にはさらさらになっている。

これまでに発熱を確認してから20回以上、スコップ1本で切り返しをしてきた。

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完全に発酵するにはもう一度水分を加えてやれば60度から40度程度に落ちていた温度もまた上がり、さらに発酵するそうだ。

しかし、田植えまで3ヶ月の期間があるのでその間に田んぼの土と馴染むだろうということでこのタイミングで散布している。

というのも、生の有機物を土壌中に混ぜると地表面に出ない数センチ下でも、微生物にとっては酸素が少ない環境になり、好気性菌が働かず、腐敗になりやすいと言われるため、発酵肥料や堆肥でも完熟していない有機物の散布には気をつけないといけない。

また、この米ぬかぼかしの散布量は10アール当たり、50kg程度と極少量であることも腐敗になりにくいと考えてのこと。

もっと詳しく探求する人もいるが、私にとっては土壌は宇宙そのものであり、答えを求めれば求めるほど息苦しくなるようなものを感じる。

感覚でやっていく農業も悪くないように思う。

 

この日は初春の快晴。のんびり外仕事をするには絶好の日和だった。

トラクターに乗っているのは最近アルバイトに来てくれているとても謙虚なH君。

次回の百姓三昧だよりでご紹介する予定。

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また、今の配達・発送に野菜がなくなってしまい、ようやく種を播けるまでになった。

写真はにんじんの種。

今から種を播いて収穫できるようになるのは早いもので5月下旬ごろ。

一時の間、野菜がなくなってしまい寂しいが田植え前にはいろいろと野菜の収穫が出来そうでいまからワクワク。

 

 

09 - 3

緋寒桜が7分咲き。ちょうど1年前の3月14日、上棟式の時期が満開だったことを思い出す。

今年も変わらず春が来ている。

09 - 1こちらは紫陽花の新芽。

09 - 2そして花桃のつぼみ。

この桃の木は数年前に田主丸で苗木を買って来た。

桃の花は野菜の種を播く時期を知らせてくれる指標の一つ。

以前のブログには春じゃがを植えるタイミングが桃の花が赤か白か分かるくらいがその時期だと書いている。

この言葉は祖母サヨ子さんの言葉。

もう祖母も畑作業をすることができないくらいに弱ってしまった。

自分が忙しく、まだいろいろ教えて欲しいことはいっぱいあるのに、時間が余って仕方がなかった高校生時代が惜しい。

もう少し暖かくなれば畑に誘い出そう。

 

 

 

好きなことをする

自分は好きなことをしている。

でも、時たまこれって本当にすきなことだっけ。いや、こんなことがしたかったんじゃない、もっと自由になりたいんだ!

とか思うことがある。

心屋仁之助さんのブログには「好きなことだけをやりましょう」とある。

そこで来た質問に対して「やりたいことをやって生きていくには一番やりたくないところを一度は潜りぬける必要がある」と書いてある。

正直最初は意味不明だった。

それでもブログを読み進めていくうちに、なんとなく分かった風でとりあえず目の前の仕事に精が出て今日中に仕事を上がることができた。

そこで、今一度ブログを見直してみた。

すると、そこにはやりたくないことを一度はやらなければならない、とは書いてなかった。

やりたくないところを、一度は潜りぬける必要がある、と。

いやぁ分かりにくかったなぁと思う。

なぜ分かりにくいかというと、読んでいながらに前もって自分で答えはこうだろうと予測して読んでいるからだろう。

やりたくないことに対して、潜りぬけるとはなにか。

目をそらすわけではなく、

スルーするわけではなく、

誤魔化すわけではなく・・・

ブログには続きにこうある。

「なにがいや、なのかをちゃんと言う必要がある」と。

自分の場合でいうと、今晩の仕事というのはお客さんに送付している百姓三昧だよりというニューズレターがあり、それの住所録の確認作業だった。

私はそもそも農業がしたくて百姓になったが、パソコンの前で夜な夜な事務仕事をするために百姓になったわけではない、だから一時的にまったくもってやりたくないことをやっているような感覚になった。

しかし、私は今の何がいやだと感じているのかについて漠然と考えていた。

実は自分がいやだと感じていたことは、夜が更けてきたにもかかわらず依然として精が出ずにフェイスブックやら天気予報やらを見ながらなんとなく過ごしている自分にいやになっていただけだった。

そもそも、夜になる事務仕事も覚悟の上で個人販売を始めたし、この仕事自体はさほどいやでもなく、むしろ集中して仕事をし終わった時の達成感が好きでやりはじめたのではないか。

もし、それが実は気が変わって夜中まで仕事をしないようにするのであれば、そう決めて、さっさとリビングに上がればいいだけの話。

何が「いや」なのかを考えず、自分のしたいことをするということにきちんとフォーカスすることが出来れば、人生は好転する。そう思った。

 

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