溜池の水がどんどん減っていく。水を抜き始めてからすでに6日目。
昨日、急遽集会があった。昨日の時点でまだ水が入っていない田が3枚、光岡にはあった。しかし、溜池の水はグングン減っている。
底が見えないため、見た目ではあとどの程度の水が溜池にあるのかということは、案外わからないようだ。
この数日は雨が降らないために、水の出方を少なくしていたらしい。しかし、水の出が悪いと、なかなか水が溜まらず、溜池から遠い田圃では仕事がはかどらないという事態になってくる。
集会では、とりあえず後の3枚が一様に入ってしまうまでは、溜池の水の出方を強くしよう、という結論になった。半ばそう決まっていた。つまり、この後も雨が降らない場合は溜池さえもなくなりますよという、お知らせのための集会だったということか。
この雨の降らないときでも、この地で水田ができるということは、このため池があるおかげである。そして、みなが喧嘩せずに、水を分け合える環境があるからだ。
この田は、水が一様に入り、トラクターで1度耕運した状態。この水が入って一度目の耕運を荒代掻き、2度目の耕運を植え代掻きという。
1度目のときは田圃に対して横に移動しながら代掻きを行う。このときに隙間を少しずつ残すことで、横しま模様になる。
そして、最後の代掻きでは縦に行くのだが、この縞模様を徐々に消しつつ、代を掻いていく。
写真で見てもらいたいのは、水が入ったことでわかる、田圃の高低差。左奥では水面鏡になり、縞模様も消えるほどに地面が低いことがわかる。
その手前では縞模様以上に地面が水面からでているのがわかる。このときに、高低差を記録しておかなければ、この秋にこれを均す(ならす)ことはできない。
この微妙な高低差は10cm近くはあるだろう。この差がのちのち、厄介なことになる。
“空梅雨でも” への1件のコメント
秋の対処策を、この時期の記録に基づいてやらねばならぬのか。なるほどー
素人目にとても感心してしまう。