石鎚神社にて貰い受けることができたという五穀成穣守護の札。
水田の真ん中に、全体が見えるところにかざす。
神頼みとはよく言ったもので、結局は自然界という大きな存在に対する自己主張の表れではなかろうか。
先日のキャンプで、後輩であるイチゴ農家の息子が父の言葉を話してくれた。
「品種の育成で最終的に大事なことはどんな品種を作りたいのかという気持ちがどれだけ強いのかだ。」
この農家は自分でイチゴの品種育成までしてしまう。できた品種の名前は奥さんだったり、娘さんの名前からとったりするのだという。
(父親の偉大さが、大学を卒業して実家に帰ってきて一緒に仕事をして改めてよくわかってきたと、後輩は言っていた。)
自分の確固たる意識・気持ちに、自然界が調和する、という超自然的意識。
しかし、心が清らかでないと筋斗雲に乗れないのと同じかもしれない。