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2009-02
晴れ
前回紹介した桜がほぼ満開になった。もう桜が咲く季節になってしまったという、仕事の進み具合からちょっとあせる気持ちもこの天気でどこかに吹っ飛んでしまった。
天気で人の気持ちなんてものはどうにでもなるらしい。東北のどこかの県は日照時間が一番短い県らしく、同時にうつ病の割合が一番高いらしい。
ブルーベリーの花芽も花数が数えられるほどに膨らんできた。花芽のときは一つの花芽にまさかこれほど多くの花が咲くとは思えないものだ。上部の花芽では10花ほどはあるだろうか。
だから、剪定では思い切って花芽を落さないと予想より花数が多くなり、果実が小さくなったり、甘みが乗らないことになる。
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農業に新しい雇用は創出できるのか。
- 2009-02-27 (金)
- 農業
農業の分野に新しい雇用を生み出そうという取り組みがおこなわれている。モデルにある農家が映った。
夏は稲作、冬はレタスの専業農家。夫婦と母の3人で忙しいときは親戚などにパートとして手伝いに来てもらうという一家。年間の売り上げが1700万で手取りは700万円という。そのうち200万を従業員の給料にあてるとして、募集をしたが問い合わせは1件もないという。
賃金の低さや農業のイメージのためだろうか、と言われていたがはてどうなのだろうか。
雇い手が雇おうとしているところはまだ良い。多くは雇いたくても収益があがらないから雇えないという現状だろう。農家の収益を労働時間から時給に換算するといったいいくらになるのか。中にはサラリーの人でも残業手当がでないのは当たり前、なんていう友人・知人もいるが。
労働時間や仕事内容がきついといっているうちは農業の楽しさは見えない。農業は好きでないとできないとは、楽しく仕事をするにはという意味であり、嫌いでも農業はできる(そんな農家さんもなかにはいた)が、が続かないだろう。
一時的な雇用であるのならば、新しい雇用を創出することは難しくも不可能ではないだろうが、それは派遣社員と状況は変わらない。いつやめることになるかわからない。つまり、後継者にはならないだろう。
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農業新聞
- 2009-02-27 (金)
- 農業
私が卒業した大学は農学部であるから図書館の新聞コーナーにも農業新聞があり、時には読んでいた。
宗像に帰ってきてからは購読している。農業の多種多様なことに関して情報を仕入れるには良い媒体である。
しかし、最近の農業新聞には広告欄が増えたように思う。それほど昔から購読していたわけではないのだが、現在は広告欄は3分の1くらいになっている。12面の新聞にまる1面の広告が2ページ分あるし、たいてい1ページの下3分の1が広告だ。
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食べものの安全性は、そんなに大切なものなのか
- 2009-02-25 (水)
- 米販売
「食べものの安全性は、そんなに大切なものなのか?」
とは、宇根豊氏の著書「国民のための百姓学」の小題の一つである。
この書籍の小題は、全て?で終わる問いかけになっている。つまるところ宇根氏の言いたいことは、問いかけの?、「ではないのではないだろうか」ということだ。
もちろんこの場合は、安全性が大切ではない、とは言っていない。では何かというと、安全性の追求の仕方が昨今は間違っているという。その追求の仕方(方向性)とは、異物の混入や、毒物の検査の強化であるとしている。
「百姓は、消費者が引き受けて食べてくれるから、丹精を込めて栽培し、届けようとするのである。」
消費者が引き受けて食べてくれる、とは生産者を信頼して、という意味だろうと自分は解釈するのだが、信頼してこそ安全性が確保されるということだろう。つまりチェック体制の強化が安全性の根本的な解決にはならない、信頼関係が一番であると。
安全性ということにだけフォーカスすると見えなくなる。しかし、消費者が一つ一つの食べものに信頼関係を持つことは困難なのが現状だ。
お米を買っていただいたお客様に「お米はちょっと高いんだけど、あなたを応援したくて注文したわ。」
と言ってくれる方が少なくない。本当にありがたいことである。
宇根氏のいう、消費者が引き受けて食べてくれるとはこのことだろう。では私、生産者が引き受けることとはなにか。
無論、安全性であるし、適正な値段や品質の保持、永続性などの信頼を壊さないことだろう。
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プラウ耕
- 2009-02-23 (月)
- 水稲
この田圃はどなたの田圃かは存じ上げないが、このあたりでは珍しくプラウ耕をされていたので写真にとってみた。
プラウ耕を通称転地返しという。このプラウ耕の目的は地表面の有機物を土中に埋めることにより、早く分解させることである。畑作の後の残渣を土中に埋、その後にロータリーをかければきれいになるといったところか。
水田の場合、稲株を分解させることが目的となる。昨年の稲株や稲の残渣を分解させることで土を作ることはもちろん、稲の残渣がある状態で水を入れると浮き藁となり、田植え後の苗を押し倒してしまったりする。
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チップの運搬
- 2009-02-22 (日)
- ブルーベリー
昨年夏に搬入し、野積みしていたウッドチップの運搬が先日からやっと始まった。
すでに野積みにして半年になる。一度も切り返ししていないのに中は30度以上はあるほど熱を持っている。まだまだ発酵している途中だ。少しでも発酵させたものをと思い、一番最初にチップを運び込んだのだが、いかんせん圃場を作るうえでチップの場所が手をつけられずに往生した。
チップを圃場に広げてしまえば、野積みしておいた場所が空き、苗を植えてしまえる。さらにそこまでチップを広げてしまえば今冬の仕事が終わる。
初めて作るブルーベリーの圃場。おかげさまでとても充実した冬となった。まだ終わったわけじゃないけど、ようやく先が見えてきた。
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ニュースレター作成中
- 2009-02-21 (土)
- 農業
ブログもなかなか書かない自分だが、今回ニュースレターを作成している。
ニュースレターの内容はとりとめもない農業福島園の出来事などである。まぁブログとたいして変わらないのだけれども、なかなかインターネットで自分のブログを見てくれているお客さんは少ない。
農業福島園は、というよりむしろ福島家はこんな毎日を送っていますよ、ということを知ってもらうことが目的だ。
ニュースレターも、毎日ブログを更新することと同じように、なるべくなら毎月書いていきたいところだ。
ブログもまともに書かない自分だが、果たしてニュースレターを毎月出すことはできるのだろうか???
とりあえず、No.1は3月上旬には書き上げて投函する予定。
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生き方
- 2009-02-20 (金)
- my哲学
人それぞれという言葉があるように、人にはそれぞれ独特のなにかを持って、掲げて、誇りにして、生きている。
それを生き方というのだろうか。この生き方とは人によってそれぞればらばらであることが人間性なのだが、
どうしてもこの生き方が良い、この生き方は悪いと判断しがちだ。
人それぞれであることを認められているのに、なぜか他人を意識したときからその生き方に是非をつける。
もとより、人は“それぞれ”であってはならない面があるということなのかも知れない。
良い悪いの区別は他人が決めるものであるとして、本人が自分の生を全うしたと思うのであれば、それは立派な生き方であったといえるのだろうか。
そもそも、立派な生き方というものがあるとするならば、だが。
「人にとって肝心なのは、望んだり生きたりすることに飽きないことだそうだ。」
攻殻機動隊 イノセンスより
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彼岸桜
- 2009-02-17 (火)
- 未分類
ヒガンザクラが開花した。お彼岸はまだまだ先だというのに。
4月の陽気から一転、真冬の寒さにもどった。気がつけばまだ2月中旬だった。
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4月の陽気
家の裏にある梅畑が満開を迎えている。しかし、陽気は桜が咲いているのでは、と思うほど暖かい。
阿蘇にいたころはとても厳しい冬の寒さに耐え忍び、段々と暖かくなる陽気に心を弾ませていた。もちろん宗像でもおおかたそうなのだが、今年は特別、ブルーベリーの植え付けが遅れていたためにどぎまぎしてしまうような気持ちだった。
ブルーベリーはすでに花芽が動き出している。花芽が動き出しているということは、根はもうそれ以前から動いているという。だから、根が動き出すときには地に植えておいたほうがよいということになる。
先日、16品種のブルーベリーを9割ほど定植できたため、とりあえずは安堵したところ。
この暖かさで今まで電源を入れていなかった冷蔵庫の電源を入れた。もちろんこの季節に電源を入れる予定ではなかった。
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花鳥
こんなときにはカメラをもっと知りたいと思う(画質の悪さ、ご容赦下さい)。なかなか畑に一眼レフを持っていくわけにも行かないのだが、むしろそこまで持っていくくらいの執念があるとかっこいい。
今朝、野菜を収穫しに畑まで行った帰り、梅の花をつつく「うぐいす」らしき鳥を発見。そのときはてっきりうぐいすだと思い込み、今調べてみるとどうも違う。うぐいすは目の上に白い線が入っているようだが、この写真を見る限りでは見当たらない。
というより、現在の宗像は宅地化が進み、うぐいすがいるような環境ではないことを考えると、それだと思うほうが阿呆であったかほーほけきょ。
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済州島・ブルーベリー苗木生産視察
2月6日~8日、韓国の済州島にブルーベリーの苗木を生産している現場を見せていただく機会があったため視察に行って来た。
いつかのブログにも書いた記憶があるが、以前日本では栗の苗木を大量に生産したが、生産者が少なく結局中国などに大量に輸出した結果、果実が安価で大量に輸入されるようになり、日本の栗生産者は大打撃を受けたという経緯がある。
今まさにブルーベリーでも同じようなことが起こるのではないかと想像するに容易い。
まだまだ国内のブルーベリー生産量は増加の一途をたどっているのだが、アメリカ産・オーストラリア産が国産に比べて安価に輸入されている。そのうち、韓国産・中国産が輸入されるようになれば国内のブルーベリー生産量は下向きになるだろう。
この傾向は安全・安心が取りざたされている時代でも大きく変わることはないと思う。
旧済州市の市場を観光していたら、とても驚かされるものを発見した。デコポン(品種名:不知火)である。
日本で育成された品種は品種登録され、許可を得ないと栽培できないのが普通であるが、韓国の果物屋で堂々と陳列してあるデコのある柑橘を見たときは日本のデコポンが流出したとしか思えなかった。
調べてみると育成は長崎で行われ、『品種名の「不知火」は、最初に産地として穂木が持ち込まれ栽培された不知火町に由来する。正規の手続きを経ず産地へ流出したために種苗登録はされていない。』(ウィキペディアより)とあった。
つまり、不知火が種苗登録されていないために韓国でも栽培が広がったのだろう。違法ではないようだ。
デコポンは商標登録であるため、韓国では使われないが、現地ではハルラボンなどとよばれて特産化しているようだ。1個2000ウォン(約140円)だったが、やはり国産のほうがおいしかったことを添えておこう。
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