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芸術

先ほどエヴァンゲリオンの映画を見てきた。

正直にいってストーリーはわからない。これほど難解な(明確な解などないのかもしれない)映画が部分的ではあるかもしれないが、広く影響を与えていることが不思議である。

しかし、漫画であろうがこれも一つの芸術だと思う。

芸術というのは人を否定しないところがいいところなんだと、最近思う。

絵画や造形美術など、個性の表れというのはそれを同調する人にとってこそ意味が生まれる。

しかしこれら芸術は、同調を一切強要していない。

意味不明な映画だろうと、ただ協調したい人は引かれていくんだろう。

協調されることを目的とした芸術に面白みは無い、のかな。

「百姓三昧だより」を書き上げてひと段落。

また普段の仕事に戻れることがワクワクする。

2012年10月27日

今というときは人生で一番経験の多い自分であるときだが、30年後からしてみれば今の自分はまだまだ若い。

めっぽうブログの更新頻度が落ちたが、今の自分が何を感じてすごして生きているのか記しておきたいとは思う。

最近、お米を買ってくれている人との距離が遠くなってきたように感じる。

お米を買うという間隔が農家にはないが、お米を買わなければ手元には無い一般の方がなにを感じているのか。

お米作りが誰のためにやっているのかわからなくなってきている、そんなことをどことなくうっすらと感じる。

そんなことを記しておきたいと思っていたのが一つ。

他には将来のこと。

将来への不安とはよく言うが、確かに不安もありつつこんなふうになりたいと思うものがいろいろとあって毎日がわくわくしている。

一つ一つ仕事をこなす日々でなかなか願望が近づかない感もあるのだが、ありがたいと思えることの毎日でもある。

はたまた人間関係。

今年、6畝(180坪)の田んぼを一枚、新規就農したいという女性に貸した。

先日、掛け干して脱穀したが全部で250kg以上の玄米がとれたようだ。

田んぼの耕起や代掻き、脱穀機を貸してあげたりしたのだが、今後はこのような小さい田んぼを農業者で無い人が作れる仕組みを作りたいとも思っている。

言ってみれば農業体験以上の体験であり、生産したものを自分で食べることができる。

問題は耕起や機械を貸すことのお金の問題もさることながら、貸した相手との人間関係。

農地を貸すということはお金の問題では済まされないところがいろいろとあるし、お金の問題は人間関係の問題といっても間違いではない。

今後、どのように付き合っていくかはどれだけ良好な人間関係を築けるか、というところにかかっているのではないかと思う。

そんなことを思う10月27日でした。

今日は思わぬ雨にヒノヒカリの刈取りが流れ、ゆっくり頭の整理をしようと思う。

生産と販売

百姓は自分で売ることが出来ないから儲からない。

簡単に言ってしまうが農作物を育てることはまったく簡単ではないし、育っている野菜は待ってはくれない。

そんな状況のなかで個人販売をすることは相当に難しい。

自分で売ることが出来ないとは売る能力がないということもさることながらその手間暇が無いのだ。

これはがんばって解決できるものではなく、育てているものへの時間を削る以外にない、と今になって気付いた。

面倒をみることに多すぎるということはないのだから。

もっと田んぼや畑に力を注ぎたいが、待ってくれているお客さんがいる。

買ってくれる人がいるから育てることができるが、育てることもままならなくなっては本末転倒だ。

ではどうするか。

今の自分で考えられる選択肢は二つ。

一つは自分で生産と販売を両立する規模で頑張る。

一つは生産か販売、どちらかに多くのウェイトを置き、もう片方は人に任せる(パートナーを見つける)。この場合のパートナーは嫁さんに限らず気の合う仲間といった感じ。

自分の農産物だけを販売していても視野が狭いし、独りよがりになるし、広がりがないし・・・

生産面からすればもっと作物を見る時間がさらにいいものを生み出す原動力であることに間違いないし。

No.21の百姓三昧だよりにも書いたがようやく自分で自転車をこいで回っていくようになったところである種の岐路にきているのだろう。

自分のしたいこと

お米の販売が始まり、いよいよ忙しい毎日をおくらせていただいている。有難い。

私は忙しくなると、ふと立ち止まって「自分がしたいことってなんだっけ」っと考えるが、考えてみても答えが出ない。

そこでやっぱり思うのが「農業が面白いし、やりたいことといえばやっぱり仕事かな」と。

でも、実際忙しくて走っているときは休憩のお茶の時間が好きでついつい長くなってしまう。

お茶の時間を楽しむために忙しく走っているかのようだ。

とはいっても畑には目がいけてないし、ブルーベリーの畑は草ぼうぼう。

連日の晴れで土は乾き、水を欲しがっているブルーベリーは葉を赤くしている。

前々から気になっているものの、実際はなかなか・・・

やりたいことといいながら完遂できていない。

おおよそ好きなことというのはそんなものなのかもしれない。

仕事としてきっちりやっていくと、極端な話し精神を病む。

好きなこととしてゆるく楽しんでいくと本物ができるまでは到底時間がかかるか、出来上がらないかもしれない。

結局はいつも選択なわけで、間違いがあるわけでもないし、正解もない。

あるのは自分が幸せと思えるかどうか、か。

5年目

5年目の夏が過ぎていきます。

おかげさまで4年目のお米が完売することが出来ました。後は注文をいただいている分を送り出していくだけです。

心より、感謝申し上げます。

最近、なんだか変わってきていることに気がつきました。

本田健のセミナーを受けて約1ヶ月、何も変わっていないなぁと思っていたけど、ちょこちょこと思っていたことが「好きなことをする」。

私は今、多くの人に支えられ、自分の好きなことが出来ていることを実感する。

ようやく軌道に乗るようになり、少しずつ会う人が変わってきたような、そんな気がしています。

ツイッターで農業を始めようとする人からDMをもらうのだが、私は終始、自分がしたいことは農業なのかどうかを聞いている。

というのも、質問は環境問題や食料問題から農業への関心が高くなったそうで、こういった問題を解決したいがために農業をすることが解決策だと思っておられる。

しかし、ほんとうに自分がしたいことが何であるのかを理解していなければ農業を始めた後で、これではないと気付くのではないかと思う。

本当にしたいこと、というのは概ね、これまでの既成概念のもと、歪めら見えにくい。

「農業がしたい」から農業をしてほしい。

私もまだまだ「本当にしたいこと」が100%出来ているわけではないので、自分にも言い聞かす。

田植え準備進行中

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今年の苗は一見すると均一に生育がそろっていて見栄えは良い。

去年よりずいぶん良くなったとはいえるものの、自分としては40点、赤点ではないくらいといったところ。

そもそもこのマット苗方式の育苗方法では化学肥料を使わずに理想の苗を作ることは不可能といってもいいのだろうと思うようになった。

今でこそ稲の苗といえばこの風景が当たり前だが、その昔は苗は田んぼに種を播き、25cmほどまで伸びて移植(田植え)するのが何百年と続いてきたやり方だ。

できるものなら育苗から田植えを昔の方法で機械化できないものだろうか。

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荒代かき。

今日で9割の田んぼの荒代かきを終えた。

荒代とは水を入れた田んぼをトラクターで耕し、トロトロにする作業の1回目をいう。

2回目は植え代。

私は祖父から荒代かきのときのトラクターのスピードと田んぼの旋回方法を聞いていたがどうやらそれはとても我流だったようだ。

昨秋からDVDを買って勉強していたが、荒代かきの作業としての重要ポイントが何であるのかを改めて知った。

それを踏まえると、今までの荒代のかき方がいかに”おおよそ”であったのかを思い知らされる。

しかし、他のトラクターを見てみると、ほとんどの農家がそのポイントを理解していない様子だった。

このような状況で日本の農業は歩んできたのかと思うと、先進国の中でも自給率が低いのもうなずける。

問題は他国との圃場面積の差以前に潜んでいるのではないかと、たかが代掻き一つだが大きく考えてしまう私は・・・

変わらねばいけない時に来ているだけ、私はそう思う。

田植え前

田植えまであと2週間を切った。

苗は種を蒔いてから8日目。

現在は田んぼの2回目の耕起作業中。これを暮れ返しというが由来は知らない。

慣行農法であれば化学肥料を散布しながらトラクターで耕起しているところ。

今年の田んぼはすべてで無肥料になるので、私のトラクターだけ肥料散布機がついていない。

ほとんどの田んぼはすでに暮れ返しが済んでいるが、隣の田んぼの土は砂状になるまで耕されビシッときれいに起こされている。

まさに耕作者の(@_@)が見えるようだ。

私の田んぼはというと、浅くざっとしか耕起しないためごろごろした土の塊に枯れた草がまだいっぱい見える。

どんな稲作が良いのかという答えは人それぞれだ。

畦草の刈り取りも私の田んぼは遅れている事は仕事が順序良く進んでいないだけなので、耕起が終われば水が入る前までに草刈りをしておきたい。

おっと、その前にミナミノカオリの収穫があった。。。

仕事というのは不思議なもので自分の器にあった量しかやってこない。

田んぼの耕作面積は昨年と変わらいが、これは私の力量がこの面積であることを暗示しているかのようだ。

まだ圃場を増やしたい気もするが、仕事をこなすのでいっぱいな今を見ればそれは危険なことは一目瞭然。

1年に1回しか経験できない。

7月上旬までがんばりぬきたい。

慢心

私は慢心しやすい人間。

現状でうまくいっているからまぁこのくらいでいいじゃないか、と。

「努力」という言葉が嫌いなのは私が怠け者だからではないが、せっかく一所懸命やっていたのに詰みの一手に手抜きする癖がある。

農業福島園としてお米の直接販売を始めて早4年。

すくなくともただ作物を作ることだけにとらわれず、それをどうやって必要としてくれる人の手元に届けるかを意識しながらやってきたつもりでいた。

しかし、まだまだ販売に関しても改善しなければいけないことばかり。

それなのに、いまのところ問題なく日常は流れていっているからまぁいいかと思い、後回しにしていた事がある。

しかし、それではダメなのだとお客さんから教えられた。

ここから先に進むには、そこまで当然に必要だということ。

将来性

今日も少し風邪気味なのか、晩御飯を食べると体がだるく感じられた。

そんな中、将来への不安を感じ今年の作付け表をチェックする。

特別問題があったわけではないが、再確認しすこし落ち着いたのかその先をぼんやりと思い馳せてみた。

正確にいうとこれも漠然としない不安と同じで漠然とした未来への不安。

どうしても目先の出来事に感情がいちいち振り回されているように思う。

なんとなく付けていたテレビ番組で、20歳までと余命宣告された女性が死ぬ前にと結婚式をしていたが、人は死を実感したとき、本当に素直になれるのではないかと思う。

現時点の自分はまだまだ一歩足を踏み出してはそのきしむ足音にびくびくしながら歩んでいるような気がする。

しかしどうしても先が見えないのだからそれも仕方の無いことなのかもしれない。

そんな時、やはり一番自分の背中を押してくれるのは私を支えてくれる人たちだ。

この先、農業がどうなるのか、日本という国がどうなるのかはだれも分かってはいない。

なって見ないと推測も信用できない。

自分の仕事が今後どうなるのかもわからないが、実はそれは今考えることではない。

考えないほうがいい。

らでぃっしゅぼうや社長 緒方大助さん

らでぃっしゅぼうや社長さんの講演DVDを買ってみた。

といっても数ヶ月前ですが。

この雨続きの日に納屋の片付けも落ち着き、畑にも入れないのでようやく見ることが出来た。

らでぃっしゅぼうやとは、有機野菜・低農薬野菜・無添加食品の宅配サービス会社だ。

年間売り上げ223億円。

この会社、創業当初は3ヶ月持たないなどといわれたそうだ。

それが有機野菜などで株式の上場もしている大企業になっている。

このようや会社が選ばれている理由はたんに安心・安全な食べ物を消費者が求めているだけではない。

有機野菜などというとき、虫食いが多い、季節により野菜がない、偏るなどいろいろなデメリットを消費者が受け止めなければいけない、となる。

しかし、社長はその受身的位置づけを「会員」とせず、きちんと代価を払っていただく「お客様」と定義すべきだと述べていた。

他にもやはり、理念というものは必要だということを再認識した。

利益が目的ではない。それは成長するための手段であり、成長することによって理念を現実のものにする。

そのために今の仕事をする。

私にとっての理念とは・・・

農業福島園のルール

ウェブサイト上では当園のこだわりとして私の気持ちを載せている。

しかし、それとはまた違う、私なりのルールを据えておこうと思った。

というのも・・・と、そう思うように至った理由を書こうと思ったが、3日前の日記にそのルールの下書きを書いているのだが、なぜそれを作ろうと思ったか忘れてしまった。

とりあえず、ココに記すことで留めておこうと思う。

①自然を感じること

②気持ちを入れないこと

③感謝すること

まぁなんだかこうしてみるとルールといえるのかどうかと思ってしまう。

自然を感じることとは啓発のつもりではない。自然を感じて作物と向き合う。

自然が感じられない作物は作らない。

自然が感じられない売り方もしない。

次の気持ちを入れないということだが、よく「こだわり」という言葉を耳にする。

こだわって作るものは良い物になる。それは間違いないのだが、作物というのは植物なので育てるというか、、、「作る」というものではないと思う。

自然には感情というものは無い。

暖かい日差しは安らぎ、はたまた嵐を怒りという感情をあてることはあるが、それは人間の状態を当てはめたものだと私は思う。

天候としての自然も植物という自然の一つも同じく感情を持たない。

作物にも感情がないなら人がそこに感情を入れるのはおこがましいのではないのか。

まぁいろいろと捉え方はあるが、今の私にはそう思える。

では最後の感謝するというのは気持ちを入れることになるのではないかとも思うが、まぁそこらへんが突き詰めればややこしくなるので今日のところはこの辺にしておく。

また、本当にルールというものを自分に作るのであればこれもまた一つの参考にしようと思う。

人生の節目

いつの間にかじぶんも26歳になった。

気がついてみればもう結婚していてもいい年齢だといえるだろう。

仕事も板についてきたというところか。

まだまだ先は長いが、この時点で人生の節目を迎える日が迎えられるのは嬉しいことだ。

明日、挨拶に行ってきます。

辻井伸行 

BS朝日で辻井信行さんの演奏を聴いていた。

音楽の奥ゆかしさを感じることはできたがどの程度深いのかなど凡人には到底・・・

まるで宇宙の広さがどれくらいなのかといった質問に似ている気がする。

楽しくて仕方が無いようだった。

まさに、好きなことを追求している人の姿だが芸術家特有というわけでもないはず。

音楽をするのに視覚は必要ではなかったという、盲目で生まれた運命を後付けのようだが感じさせるが、どちらが先など関係ない。

人に感動を与えることが楽しい、のだろう。

人が人として生まれてきたのはいろんなものを”感じる”ためにこの世に生まれてきていることを改めて感じさせてくれた。

伝えることの重要性

カンブリア宮殿を見た。

今日はパティシエ。

海外修行の経験がないパティシエのチョコレートが最高の評価を得たそうだ。

そのパティシエは相当なポジティブ自立であり、だれもそのポジティブさを見習えというわけではない。

出てくる経営者はだれも真似できない人ばかり。

そりゃそうだ、だから一流の人になっている。

真似をする必要はない。

しかしいろんな勇気をもらう。

今日のパティシエが言っていたことで心に残ったのは「最高のお客は自分」であり、自分が望むものを追求すること。

そして伝えることの重要性。伝えるのは自分が追求したものについて。

簡単にいうとそんなところか。

そこで今日した仕事について私が感じたことを伝えようと思う。

今日は小麦を育てるために田んぼを耕起したのだが、麦を蒔くまでに考えないといけないことがいくつかある。

麦は水はけの良い畑に向く作物だ。

そのため、水を溜めることが前提である田んぼではそもそも不向きなのである。

そんな田んぼで麦を育てるための技術に弾丸排水という作業がある。

地中をこぶし大の直径の鉄球を引っ張って穴を貫通させることで、水の抜け道を作る作業。

祖父がその昔に麦を作っているころに使用していた道具があるのだが、倉庫の奥にしまいこんでいた。

それを引っ張り出し、何とか使えないかと試みたがトラクターとのジョイントの部品など、今日中にはそろいそうに無かったためこの作業はとりあえず断念した。

その代わりに田んぼの表面を水が流れやすいように溝を作ることで溜まらないようにしようと代替技術を考えたり・・・

結局は今日はとりあえず普通に耕起するだけになった。稲藁が麦の種まきの妨げになることと、一度土を起すことで田んぼが乾きやすくなるから、とりあえずは。

これらの新しいことにチャレンジすることはとてもワクワクする。

自分でつくった麦で焼いたパンが食べたい。ただそれだけ。

田んぼを見ながら焼きたてのパンを想像している。なんともワクワクする。

農薬や化学肥料を使わなくても、収量は少なくなるだろうが麦は作れると知ったからには自分で作らずにはいられない。

絶対おいしいだろうな、なにもパンを焼く技術など知らないが勝手にそう思う。

そんな思いで小麦を作りたいと思います。

今年は種を蒔くところまで出来ればいいかな。

来年は自分で食べれるだけの小麦が出来ればいいかな。

再来年には欲しいという方に渡せればいいかな。

その先は、周りが決めてくれるだろう。求められるようであれば答えるまで。

今年は私の小麦栽培元年にしたい。

組織

e792b0e5a283e38395e382a7e382b9e382bf2011今日は有機農業研究会として宗像市主催の環境フェスタに参加してきた。

このフェスタ開催にむけて7回の役員会議を重ね、展示の内容を考えたり会員の出欠を取ったり、それほどでもないが時間と手間を割いた。

もともと勉強会である団体なもので、この環境フェスタの出展はその勉強会の存在を知らしめることが意義となるが、それほど力を入れてまで参加しようとはならない。

会の存在を広めることでお米の販売につながればよいが、会員のみなが個人販売をされているわけではないので、協力してアピールするということにもならない。

組織というものは一つの目標に向かって一致団結して進むときその力を発揮する。

違う考えをもち、意見を交わすことで得られることもあるが、このような参加型の行事には・・・

リーダーシップという素質も持って生まれる才能かと自分の能力を客観視した一日だった。

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