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my哲学 Archive
人生とは
久しぶりに今の自分に思いふけってみた。
昨日、同級生2人(熊本と福岡市)と後輩(古賀市)の4人で酒を飲みながら話した。自分はハンドルキーパー。
後輩と福岡市の2人は食品の流通関係の仕事をしているため、話が合う。
専門用語が出たり、単価について、最近の動向についての話が進む。
しかし、この二人は仕事を辞める、もしくは辞めたいと思っている。
一人は仕事を来年(まる3年間)で辞め、施設で野菜の生産をしたいと話す。
もう一人は休みの無い仕事に日常生活のほとんどを奪われているため、普通の生活がしたいと話す。
この時点では私は幸福である。他人と比較することで自分が優位にあることを実感することで得られる単純な幸福感でいえば。
自分のしたい仕事を思う存分しているのだから。
ところが、その本人は最近自分らしいことができていないように感じている。
自分のしたかったはずの無農薬の農業をしているし、個人への販売もしている。他にはなかなかまねのできない農業をしている。
これが、自分を自分の欲求で推し量った場合の幸福感だろう。
まだまだ自分のしたいことはいろいろある。運動もしたいし、旅もしたい。バイクなどの機械いじりもしてみたいと思っている。欲。
結局のところ、人間であり尽きぬ欲求で今に不満を感じてしまう。
私は(傍から)どうみても幸福な人間であることは間違い無いにしても、足るを知る心がなければ無に帰す。
さて、人生とは何か。
何かを成し遂げるためにあるのか。
何かを学ぶためにあるのか。
そもそも、何も意味など無いのか。
時間が流れていく。もう今年も残すところあと1カ月半。
年も四捨五入で30になった。
今の人生を楽しむも、耐えるも、無意味に過ごすも心次第。
「生きたり望んだりすることに飽きないこと」。
私は人生とは何か、生きるとは何かということを考えることに飽きて止めないようにしたい。
もしそれに意味など無いとしてもこじつけでも当てつけでも思いこみでもそれの追求が私の生きる原動力になっていく
そんな気がする。
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色彩選別機
さて、新米も順調に販売を開始させていただきました。
あとはヒノヒカリの収穫と広げた面積の分のお米をどう販売していくか・・・
有難いことに兄がやる気を出してくれてホームページの一新、そしてツイッターでのつぶやきで販売促進。
ツイッターで自分の内容をつぶやいてもらったところ、兄のツイッターをフォローしている人からお米のご注文が入った。有難い限りである。
有難いといえば、この最近は就農して一番忙しいといっていいほどやることが満載なのだが、やらなくてはいけないことを一つ一つ片付けていても、その順序が前後したりする。
そのなかで、後手になっていたのが、HP上で説明する分づき米や品種について。
お客さんの質問で多いのは7分と5分がどちらが玄米に近くてどちらが白米に近いのかということ。
7分はつまり7割のヌカを取っているという意味で5分より白米に近い。
これが文章だとどっちがどっちかがわかりにくいところ。
そこで、写真があるとわかりやすいのだがと、要望が上がっていた。
その写真を撮るには7分と5分を精米しなければならない。しかし、なかなか7分と5分を分けて精米するのは手間であり、なかなか手にかけていなかった。
そうすると、お客さんから白米2kg、7分2kg、5分2kgというご注文を頂いた。これはもう早く写真を取りなさいというお告げではないか!有難い限りだ。
左下から白米、左上7分づき、右下5分づき、右上玄米。
そして、ついでにカメラを据えたのでカメムシ米が何であるのかを説明していなかったので写真を入れて説明する。
この機械が「色彩選別機」という機械。カメムシが米を吸汁する被害が出始めてから開発され始めた、きわめて新しい部類の機械。
数年前までは一般的に普及していなかったので性能の良いものでも数百万円する代物だったが、カメムシの被害が拡大してきたため、技術革新がすすみ一般農家でもどうにか手が届く物になった。
カメムシに吸汁された米粒はその一部が黒く変色する。食べてもなにも問題ないのだが、本来白一色のお米にこの黒粒が混じると断然見栄えが悪くなる。
選別された米がすべてが黒くないのは機械の性能が100%で選別しきれないため。逆を言えば、機械を通過したお米にもカメムシ米が混じっていないかというと、100%ではないので若干混じってしまう。
だから、お米に黒い米が混じっていてもご心配なくお召し上がりください、とひと言添えるべきであるだろう。
2年前はすべて手でこのカメムシ米を拾い上げていた。ほとんど祖父母にしてもらっていたのだが。
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合鴨農法
祖母と話をしていると、連日の晴れの後の雨は畑が潤うからうれしいとなる。これは畑をしているからこうなるが、団地の人はあまりそうは思わないだろうと。
写真はタニシに大きく食べられた自分の田んぼなのだが、水面が多く見えているせいか合鴨が飛来していた。つまり、自分が合鴨農法をしているのではなく、勝手に降りてきてえさ場としているだけ。
合鴨は普通の自然界では存在しえない鳥だ(マガモとアヒルを人為的に交雑したもの)。それがこのように宗像の大地を自由に飛び回っている。
合鴨は秋になると水田から離され、ある程度肥育したら肉としてさばかれる。これは自然界では存在しえない種であるため、放鳥を禁じているからだそうだ。
しかし、去年の7月の豪雨の時にも知人の合鴨水田は水につかり、合鴨は流されていったそうだ。
そんなことがそこそこでよく耳にするため、この前の冬でも川の流れの緩やかなところに合鴨数十羽が群れをなしていた。
無農薬無化学肥料と謳って自然をアピールする合鴨農法だが、こうして自然界の種を脅かす存在になってくるのも事実であることを考えると、
そもそも人間が作り出すものがすべて反自然的とする考え方があること自体、人間中心の物の考え方であることだと思う。
人間も自然の一部であり、こうして自然界に人為的に変化をもたらすことも一種の自然の一つなのではないか。
昨今ブームとなっているECOも、地球を守ると名乗っているが結局は人間の住処を守るということが本来の目的として隠されている様でならない。
2008年に公開されたキアヌ・リーブス主演の映画、「地球が静止する日」には地球外生命体が地球を人間の手から守るためにやってきた。
この映画は人間による人間への警告であるために、やはり事の中心には人間が地球にしていることが問題であると訴えている。人間が地球からいなくなれば地球は自然のままであると。
人間が二酸化炭素を出すから地球の平均気温を上げているのは事実なのだろうが、人間が二酸化炭素を多量に出すようになったこと自体もある種の自然の流れの中であり、いわば仕方のないことだと思う。
ということは、人間が地球を守ろうとすること自体も自然なことなのだと。
しいては、自分が農薬や化学肥料を使わないと決意したのも、自分で決意したのだが、自然と決意するようになっていたと。
すべては自然の流れの中で起きていること。
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夢・目標
- 2010-07-15 (木)
- my哲学
先日、徳島で酪農の仕事をしている先輩から電話があった。
そのなかで、市場に努めている後輩が休みなく続く仕事のことで悩んでいることの話になった。
しかし、この先輩も2カ月半休みなく働いているがなにも(精神的には)辛くはないという。その理由が「俺には夢があるから。」と一蹴。
聞いた瞬間、何か打ち抜かれたような気がした。ここまで明確で確固たる夢を持っている人は少ないと思う。
自分も夢宝地図を描いたり、夢に日付をつけたりしたこともあった。
しかし、自分はそもそも夢の実現に向けて努力することが大の苦手だったし、苦痛であった。
そもそも、自分は平穏な気持ちで日々を送りたいというこれも一つの夢の実現のために農業という道を選んだのだ。
そういう言い訳から大学卒業するころには生き方を変えていた。
決して変えた生き方が悪いわけではなかった。むしろ良かったと思う。それは日々、目の前のことを全力で取り組む。ただそれだけ。
自分にはこうしたい、あぁしたいというものはいっぱいある。だから自然と、無意識にしなければいけないことを自分で作ることができる。
そうすればやることは自然とみえてくるというもの。
実際やることは次から次へと湧いて出てくる。
しかし、一つ現状からわかったことがあるとすれば、それはこの生き方では熱が入らないのだ。
目の前のことを書き出してみるのだが到底一日では終わらないことに嫌気がさす時もある。
そこで、夢というスパイスによって人は燃えることができるのではないかと思う。
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雨
- 2010-07-14 (水)
- my哲学
最近ブログの更新がされてないよ、といわれてしまいました。
心と体は一つ、一心同体とはよくいったもので、心が荒んでいると体も思うように動かない。
解体業でアルバイトをする若者が体がだるいと電話で恋人に訴えているのを横耳で聞いた。昼食中だったが食べているものはコンビニの弁当。目の前に原因があるのだが気付かない。
しかし、体がだるく感じているのはこの若者だけではなかった。
自分も同じような症状だ。しかし自分の場合は祖母のバランスのとれた食事を日に3度食べさせてもらっているので大丈夫だとは思っていた。
元気が出ないと夢や目標などもてるはずもない。今日を生きるだけで精いっぱいだ。
梅雨はすべてを腐らせる時期だという。
降り続く雨で根が腐る。高温多湿で有機物にはカビなどの腐敗菌が繁殖する。
人の心も活発に燃えていなければカビが生えるのかもしれない。
今、この世界には常でない何か(異常)が起きているのかもしれない。
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農業新時代
- 2010-07-07 (水)
- my哲学
これまでの農学は完全に変わる。しかし、すぐにではなく、徐々に、しかし着実に変わってくる。
いつの時代も常識があり、それ以外の非常識がある。この非常識の中にはまったく新しいがゆえに受け入れられずに非常識になっているものがある。
時間がたつとだんだんと認知され、そして常識となる。
これまでの農学とは、いうなれば化学肥料と農薬といっても過言ではないと思う。
だからこそ今の常識を信じて疑わない人はこれらなくして作物を作ることが受け入れられない。
今日届いた現代農業8月号。題名は「自然農法が知りたい」だ。
注目すべき点は知りたいという言葉。知りたいとはまだ一般には知られていないという意味。
一般とは現在一般的にしられている農学には知られていないという意味だと個人的に解釈した。
それでも少しずつ自然農法というやり方でなぜ作物が育つのかを科学が解明してきているということなのだと思う。しかしまだ駆け出しだ。
現代農業に書いてあることには多かれ少なかれ色が付いているので読む際には若干気をつけて読む必要がある。
最近になって新しい発見があり、覆された常識は多い。現在の農学の眼をもって未知の農法を科学しても出てくる結論は謎だらけ。
非常識が常識になり、常識が歴史となる。
私はこれから50年、100年後には常識となっているであろう農業の常識を感じながら自然を見ていたい。
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仕事と思ってする仕事と遊びと思ってする仕事
写真はタニシに食べられまいと水を落とした田んぼの様子。
黒い点がタニシ、水が溜まった部分には稲がなくなっている。写真の奥には高くなっていたために草が生えた。足跡が右に左に行った後であることが分かる。
仕事と思ってこのせめぎ合いを見ていると見ていられない気持ちになるが、遊びとおもって見ると案外楽しめる。
しかし、普通の農家からしてみるとところどころ食べられてなくなっている稲をみるとなにをしとるんだろかと思われるのではないだろうか。
早く硬く成長して食べられないようになってもらいたいものだ。
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人の話を聞く。ただ、聞く。
- 2010-05-05 (水)
- my哲学
ミヒャエル・エンデ作のモモはただ人の話をよく聞いていた。
それは本当はとても難しい。
異論反論そして同意論でさえ出さずに、ただ聞く。
人の話を聞いていると、その話に対して反応する気持ちがある。
それは相反するものか、それとも同調するものかのほぼ2択になる。
人の話を聞く上で一番良い方法(良し悪しという直線状の上下があるとするならの上という意味)は何か。
じつは同調という話への反応の仕方も一辺倒に良いとは言えないと思う。
同じような事例を出して話に相槌を打っているようにみえるが、いろいろな出来事のなかでそれぞれは個々人によって感じ方が違う。
だから、安易に体験談を話して相槌を打つことは実はづれているという可能性がある。
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許斐山
- 2010-04-01 (木)
- my哲学
桜が満開になった火曜日、もっと地元に詳しくなりたいと常々思っていた。
その一つとしてやりたかったことにいつも見ていた近くの山に登ること。あそこに登れば眺めがいいだろうなぁっと前日にもトラクターに乗りながら思っていた。
たぶん地元の人なら誰しも登ったことがあるのではないだろうか。祖母に聞いてみると、許斐山は頂上も木が多くて見渡せないといっていたが現在は目前の木々が伐採されたのだろう、ごらんのとおり四つ塚が綺麗に見渡せた。
思いのほか玄海、地の島まで見えた。
山に登るとよく思うことがある。人はものすごい生き物だと。
眼下に広がる大地を100年、1000年、1万年前の様子を思い浮かべる。
その光景の変化たるや何たるスピードかと思う。
「マトリックス」ではエージェントスミスが言っていた。人間はウイルスだと。
一度繁殖しだすと資源を使い尽くすまで増殖する。まさに私には団地がコロニーに見えてしまう。
「個体が作り上げたものもまた、その個体同様に遺伝子の表現型である」
しかし、如何せん私もそのウイルスの一端だった。
ただ、今このようなことを思ってしまう自分は何をするためにここにいるのか。何をすべきなのか。
ただ見届けるだけしかできないのか。
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米戸別所得保障制度と水田利活用自給率向上事業
政権が民主党に変わりいろいろなことが変わってくる中、農政も大きな転換期となった。
自分は政治には疎くあまり考えたくない。しかし、今回ばかりは考えないわけにはいかない。
農業新聞もこの制度の解説特集号を出していた。先日の農協の水稲作付け誘導方針の説明会の時に頂いた。
見出しには「すべての稲作販売農家を対象に」の文字。
しかし、依然として主食用米は生産過剰が続いている。ということは生産目標数量(減反)を達成しない農家まで一律に支払われるわけはない。
もちろんすべてではなく、減反を守った農家である。今までは減反を守っただけでは補助金はなかった。
ちなみに我が家の減反率(生産目標数量)は48.5%(2009年度)だった。つまり、半分は水稲を作付けてはいけないというわけだ。
しかし、昨年の水稲作付け面積の割合はほぼ9割。ほとんど減反していない。
なぜかというと減反すると生活できないからだ。もちろん自分が米を多くつくることで全国で米あまりが起き、米価格が下落し、さらに稲作農家が窮地に立たされることになるのはわかる。
きれいごとを言うつもりはない。仕方が無いとしか言いようがないこの状況。
話しを政策に戻すと、当園は昨年同様の作付けをすると、この戸別所得保障制度の対象にはならないのである。
もし、昨年同様の減反率で減反をし、この制度の対象になる様に作付けを行った場合の単純な計算をしてみた。
我が園の田んぼの面積は今年度は37反。これに48.5%の減反の面積は17.945反。
1反につき15000円の助成なので全部で269175円。
もし、この17.945反に水稲を植え、農協出荷した場合はどうなるかというと
1反あたり8俵×12500円×17.945反=1794500円
当園の場合は特別な栽培方法に加え戸別販売なので単価は相当額になり、差額はもっと大きくなる。
仮に他の作物、大豆を転作し大豆の収穫高+補助金を計算しても面積が少ないため経費がかかりすぎてしまうだろう。
もし減反したとしても水稲の機械は同じだけ必要なわけで、経費はほとんど変わらない。
これが減反が簡単に出来ない大きな理由だ。
さらに水田利活用自給率向上事業は今までの転作による補助金と同じ性質になろうとおもうのだが、光岡区には転作をしている農家はいない。
大豆の刈り取り用の機械などは普通、周辺の農家が共同で購入したりするが、光岡に転作をしようとする農家がいないため一個人で転作をするには機械の費用対効果の上でも導入は不可能に近い。
結局のところ、今回の農政事業でも我が農園は蚊帳の外、ということになりそうだ。
正直に言って今日本の農業の方針に背く作付けしか出来ないことにもどかしい思いでいる。
これから先、自分から光岡の農業を変えていきたい。
それはただ単に農政の行う補助金制度に則った農業ではない、やってて面白い農業に。(転作農家、通称米麦大豆の農家は上司がいない、気が楽というだけで収入は大卒並みで決して面白いとは思えない)
そのためには今はまだ米を無農薬で安定して生産すること、それが第一だと考える。
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米粉パンの可能性
1kgが600円の米粉だとパンを作るには到底高すぎる原料になってしまうことは以前にも述べた。
そこで、原料を小米や割れ米を用いることで低価格化することもできる。
とりあえず、パンを作るのであれば米より安くなければわざわざ米粉を買う意味が無い。
そういっていただいたのは普段から親しくしていただいている方。その他にもいろいろとアイデアを頂いた。
しかし、ここ数日暖かい日が続いたためか頭の中がボーっとしてしまい、春のような陽気にうつつを抜かしていた。
そんな日は頭の中を整理して、これから先自分がどうしたいのかをまとめる良い時間になったと自分を納得させた。
最近、若干ブログの更新が少ないのは頭の中にしなければいけないことがいっぱいで、回転が効かないようになってきていたからかもしれません。1日に40件近いアクセスがあることに感謝と申し訳ない気持ちがあります。
パソコンは忠実にデータを記憶していきますが、たまりすぎると時にすべてがパーになったりします。
人の脳みそは寝たりすることでいらない情報を自然と消去してくれるので健康でいれば回転は好調を保ってくれるのでしょう。
ある程度の情報を消去し、身軽な状態で一から考え直すと案外簡単に処理できるのかもしれません。
自分に必要なことはやはり感謝することなのだと、昼寝でいらない情報を削除した頭で思いました。
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米粉ぱん?
パンの型がなかったので先日チーズケーキを焼くために買ったばかりの型で焼いてみた。
正直結構テキトーな正確なのでドライイーストが売ってなくて代わりにベーキングパウダーで焼いた。
それでも結果はまぁまぁ美味しいものが焼けた。
食感はパンというよりやはり餅に近い感じ。しかし、塩が入っているためそれだけでも十分美味しく食べられた。
こうなると若干米粉がマイブームになりつつある。
これが意外にもほとんど小麦粉と代わらない味になった!むしろ小麦粉よりあっさりしている感じ。
小麦粉で水が少ないとガッテンでいうたこ団子のようになったのにくらべ、米粉の場合はあっさりとした食感。
これはいい!今度のニュースレターは米粉特集だ!
などと思ってみたが、小麦粉を自分で買いに行って思ったのが、その安さだ。
いままでは(学生時代の自炊のときなど)スーパーにおいてある数種類の小麦粉のなかから値段や銘柄、産地などを見ながら比較して買っていたが、自分で米粉を製粉して、もし販売することを考えると、1kgの米粉には1kgの米が必要になる。
そうなると、1kgの米粉は製粉代を含めると少なくとも600円以上になるのだ。
スーパーにおいてある小麦粉は1kgで200円ちょっと。この差はいったいなんなのか。
初めて輸入小麦の安さを実感し、今の日本人にも欠かせなくなった小麦がこれほどの値段で買えていることを考えると、とてもありがたく思うと同時に危機感を覚える。
小麦粉がこんな値段で買える時代はもうすぐ終わるだろう。そうなったときの日本食として定着しているパンや麺類の事情は大きく変わることが目に見えるではないか。
今の日本では麦の生産は完全に政府の援助により成り立っているが、これもまた大きく変わるだろう。
後継者が少ない、成り立たない今でこそ農地が余っているが、近い将来は農地は(利用しやすい農地は?)余すことなく利用され米も麦も生産されるようになるのではないかと、一人思う。
かといっても単に生産すればよい時代ではないので、そこに必要な隠し味は“思い”であるだろう。
たこ焼きを焼いて日本の将来を思う。
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リアル仕事力
久しぶりに本を1冊読みきった。たぶん1冊の本を読みきったのは2年ぶりくらいだろうか。
大学4年のころからあまり暇が無くなって、ちょくちょく本を買ってはいたが読みきるまで続かなかった。
最近になり、だいぶ余裕も出てきたのか、寝る前や昼休みにちょこちょこっと1冊の文庫本を読んでいた。
1冊といっても200ページにもみたない小さな1冊。「リアル仕事力」
この本は父からのプレゼントだが、今の自分にぴったりということなのか。
この本は21に分けられる仕事の“ちから”について一つずつ掘り下げている。その一つが「生まれと育ちの力」であるが、たぶん父はまさにこの力について自分に言いたかったのではないかと思う。
「今の私」を形作っているものはなにか。
それは持って生まれた遺伝子によるものなのか。それとも幼児期の体験などによるものなのか。
科学的に結論付けられたわけではないが、生まれは育ちを通じて発動するのではないかという見方が紹介されている。
つまり、遺伝的に刷り込まれた性質は育っていく過程で発動の仕方が変わる、と個人的に解釈した。
自分の母親は、毎日重労働をしてくたくたで帰ってくる祖母を見て、百姓の家より普通の家のほうが良い、と思いながら育った。
しかし、普通の家で育った自分はのんびりした百姓の家が良く見えて育ち、代々百姓として受け継がれた福島家の遺伝子が発動した、と。
捉え方はいくらでもあるが、そう捉えていたほうが自分にも有利なので勝手ながらそう思っていることにする。
実際、私の父がどういう意味でこの本をプレゼントしてくれたのか、(本当はただ単にその他の仕事力について知って欲しかったから)かわからないが、久しぶりに本を読みきった清々しさがなんとも快感だった。
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宗像市民フォーラムさんに取り上げられました!
宗像市民フォーラムさんのアドレス↓
http://www5.pf-x.net/~munakata44/index.htm
ここの「宗像市民フォーラムNEWS」最新号2~3面に宗像有機農業研究会の一員として載っています。↓PDFファイルです。
http://www5.pf-x.net/~munakata44/image/news-09/09-12.15-6-02.pdf
先日の食味会で取り上げさせてほしいとのことであんまり意味もわからずOKしていたところ、先ほど思い出して市民フォーラムさんのHPを拝見したところ、ちゃっかり写ってました。
写真を取られながらどうなるんだろうと思いつつも変に笑わせられたのではにかんだ笑顔でした。笑
宗像有機農業研究会も若い人は少なく、目立つので自分を取り上げてもらえます。このような境遇に立つ自分はホントにありがたい環境にあることと、自らこのような会に積極的に参加する意欲が自分にはあるのだろうと我ながら少し関心してしまうときもあります。
最近、友達からも「福島は自分のやりたいことをしてるからうらやましいよね」と言われたり、入社1年目の若手銀行マンの方から「自分はしたいことがないんですよ。なんとなくこの会社に入ってしまって・・・」などとつぶやかれたりしました。営業に来ていてそんなことを言われるとこちらが対応に困りますが・・・汗
正直自分でもなぜここまで恵まれた環境にいるのか、なんだか恐くなる時もあります。
本当にこんなに恵まれていていいのか?と考えたりもしますが、考えても仕方がないので感謝してありがたく受け入れようと思います。
ただ、自分は高校の時から自己啓発などの周りの人が読まないような本を読んだり、感謝することの大切さなどの本を読んだりしていたことは大いに関係しているのではないかと、振り返って思うのです。
小学生の頃「本を読むことは大切です」と先生から言われ、マンガの字を読むことすら遅く、兄からズタボロに言われつつも少しでも本を読もうとしていたころまで思い出しました。
後半は長々と物思いにふけっただけのブログを最後まで読んでいただき有難うございます。失礼しましたw
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農と農業
百姓と称して農業を始めた。しかし、農業と農とは違った。
ちょっとしたショックだった。しかし、それが今でも正解ではない、正解なんて存在しないと思えて仕方が無い。
9月18日にアクロス福岡で行われた農文協シンポジウムで宇根豊氏の講演があったので参加してきた。
宇根さんは先日の阿蘇で行われた有機農業技術研究大会にも参加されていたのだがおめにかかれずじまいだった。
宇根さんの話は一言でいって面白い。子供目線のなぞなぞは大人でも知らないことだらけの自然の不思議がいろいろでてくる。それも、いつも仕事をしているときにも起こっていることなので、どれだけ自分たちが農の目線でなく、農業の目線で仕事をしているのだと気づかされる。
宇根さんはNPO法人「農と自然の研究所」の代表である。このNPO法人は設立して10年目となるらしいのだが、この法人が設立された目的を10年かかっても成し遂げられないときはもうどうしようもないだろうと話されていたそうだ。
その10年が来年の春に終わり、これから研究所がどうするのかを発表するという。
私は研究所の10年間がどのように経緯していったのかは知らないが、講演の最後に宇根さんがおもむろに発した「これからどうするのか来年の春に発表します。」という言葉には思い気持ちがこもっているように感じた。
宇根さんは何かを変えようと、何かを伝えようとされていた。その気持ちがどれだけ達成できたかは知らないが、すくなくとも自分のものの見方に大きな影響を与えた。
今までいろいろな影響を受けたが、どの影響もあてずっぽうに受けてきたわけではない。極自然と自分の気持ちに誘導され、影響を受けてきた。
だから、自分の受けた影響が他の人にも影響を及ぼすとは限らない。むしろ自分が望む影響以外の影響をを受けることはまれである。
結果的に自分のオリジナルはいろいろな影響の結果であるが、自分にしかできないことが必ずある。
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