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2008-01

アメリカ旅行記

  • 2008-01-15 (火)

snickers

少し旅の話をしたいと思う。

人は知らないことをするときはなかなか神経を使う。

旅はその一番ではないかと思う。異国の地で異国の言葉、身振り手振りでコミュニケーションをとりその土地を感じる。この快感は普段の生活ではまず味わえない。そして、また行きたくなる。

 

この写真は自分の初めての一人旅、初めての海外であるアメリカ横断のたびの時(2006年2月)の思い出の一枚である。

アメリカを象徴するかのようなお菓子と大渓谷。この一枚が僕のあらわすアメリカ(笑

この旅の詳細はまた後日。

ブルーベリー剪定教わる

blueberry_1
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先日同様ブルーベリーの剪定を教えてもらいに今日も行ってきた。

今日はバイトとしてではなく教えてもらう者としていってきた。

自分の技術を「教えたくないなぁ~」などと言いながらこちらから特別に言っているわけでもないのに手取り足取り教えてくれたおっちゃん「K」。おかげで栽培について一部だが詳しく教えてくれた。

やはり農業というものは一種の職人である。その職人の技術を教えてもらうのだから一般的には修行しながらではなかろうかと思いつつも一方的に教えてもらっている。そんな気前のいいおっちゃんに本当に感謝したい。

ありがとう。

日本で5本の指に入るほどうまいブルーベリーを作る農家

とは自称であるが確かにうまい。

日本ではブルーベリーの系統でおいしいといわれるハイブッシュブルーベリーをうまく育てるには難しい。それはまず収穫期が梅雨の6月から7月であるために、果実に糖が乗らない、病気が出るなどもともと雨の少ない地方原産の植物であるためである。

そんなハイブッシュブルーベリーを熊本県の宮崎県境に位置する山都町で栽培するおっちゃん、K。

今日はそのおっちゃんのブルーベリーの剪定に行ってきた。今日の名目はバイトであるためただもくもくと剪定していた。

Kさんとは3年目の付き合いで自分がブルーベリー栽培をするためいろいろな技術、方法などを教えてもらっている。自分が栽培をはじめるときにはまたいろいろとお世話になると思う。

人にはいろいろな人がいて、なんとも言い表せないが、なにか違うものを持った人というのは

歴史に名を残したり、

広く知れ渡ったり、

その人にふれただけでも違うものを感じる。

なぜ、こうも違うのか。

そして、自分はどうなんだろう。しかしまぁ比較することは馬鹿だろう。

自分はなんのために生まれてきたのか。

これらの人たちは何で存在しているのだろうか。

才能

『俺には~をする才能はなかった』といって自分の好きなことに区切りをつけることは自分のしたいことだけをやっていくわけにはいかない、できないからやめる、もしくはそれをするのが好きだとしても寝てもさめてもそれだけをやり続けるほど好きでもないだけだと思う。

 

がしかし、これといって自分にそういったことがあるわけでもないし、そういってあきらめた事もない。むしろ、そこまで夢中になってするようには自分の性格からいってこれからもそう大してないと思う。

むしろ、広く浅くの自分の性格がやっぱり自分であると思う。

友達には深くあれと心のどこかで望んでいるのに。

献血により貧血

学内献血に協力してやった。はじめは友達の悪い血が抜ける感じがするということばになんだかそんな気がして自分も献血した。もとより想定していた事態だったのだが力が抜ける、やる気がでない、ふらふらする。まったくもっていいものでないと思っていたのだが逆にそんなことでへこたれている自分が惨めに思えて普段より実験をがんばれた。

 

しかし、家に帰ってきて思う。何のために朝から晩までがんばって同じことの繰り返しで、なんの意味があるのか。

 

春の七草

今日の昼飯の時に七草粥についての話がでた。

以前も覚えようとして結局忘れてしまっていた。

「せり なずな ごぎょう はこべら ほとけのざ すずな すずしろ」

そのときに聞いて知ったがすずなはカブのことですずしろはダイコンのことだった。

またほとけのざもキク科のこおにたびらこという植物をさし、普段知られているシソ科の仏の座ではない。

 

どの植物も田舎では土手にどこでもある野草であるが現在ではスーパーにセットとして販売されている。

まぁこんなことが当たり前となった昨今、ますますこのような日本古来からの風習が忘れ去られていく。

今までの自分はこんなことは別にどうでもいいように思っていたがやはり自然と知りたいという気持ちがでてくるようになった。

これはたぶん自分が百姓としていきようとしているからに他ならない。

よくある自己啓発より先人の知恵

「ソース」というアメリカ人著者の本を読んだ。

このソースに従えば問題なく充実した人生が送れるだろうと感じた。

しかし、それはある種の洗脳を問題なく受けることができれば、であるとも思う。

『自分の存在意義とは何か』

一番心に響いた質問だった。しかし、この質問をすること自体がすでに洗脳(他力)であると知らされたときにはなかなか受け入れられなかったが、まぁこの世の中そんな他力が全てであると教えてくれているのだろう。

 

自分の存在意義などないらしい。

難しいことはわからないがそこに存在意義を作り出すのは構造社会の賜物だと。

 

そして最近よく自分の意識の中で出てくるのが先人(故人)の教えである。

歴史的なことに疎いと思っていた自分が最近になって気になるようになってきている。

はて、なにから手をつけようか。

 

先輩に会う

今日、農業の先輩とするおいちゃんに会いに行ってきた。

目的は本来は農業の計画の立て方などの実践的な分野を聞くためだったが

結局そういった話にはならない。もともとそういった話をするひとではないのだろう。

もしくは、自分がそこまで到達していないかである。

後者のほうが強いと思う。

そこまで到達していないというのは、今そのことを考えるときではないということ。

現在自分は学生であり、卒業後のことは卒業後考えればよいと自分を納得させたかのようだが。

したくもない実験をしなければいけない時である。

これもまた自分を言い聞かせる、納得させるだけのものであるのは言うまでもないのだが・・・

結局のところあせっても仕方ない、苦労したくなくても苦労しなければいけない未来、

その苦労が怖いから今から準備を始めたくなるのか、

したくもない実験をしなければいけないのはその怖さになれるためにあるのか。

ただ、今は一歩ずつやることをやるだけ。

 

アンテナを張り、バランスをとり、人生を信じ、必然な偶然を待つ。

 

川崎さんご夫婦、ありがとうございました。

現実

新しくなったブログになってからよく書くようになったのは

いまからでも農業に対する思いを綴っていったほうがいいのでは、という兄の言葉。

実際、なにをしていいのか分からない今はそんなことしかできないのだろう。

そこに現実をみると苦しくなる。

帰熊

熊本に帰ることを帰熊(きゆう)というらしい。

本日午後3時、八幡を出発し阿蘇に到着したのが7時30分。

乗るのが4回目のストラーダで帰ってきました南阿蘇。

実家というものは帰省の間だけであればまさに天国だ。飯、風呂、お茶など至れり尽くせり。

そして、現実にもどる瞬間が否応なくくるのである。

 

あけましておめでとうございます。

2008年は自分のスタートの年となります。

皆様方、よろしくお願いします。

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