理想と現実、信念と疑惑


今はまさにそんな状態である。

今年は爺さんのやり方で稲を作る。最初だから仕方がない。そう思っていたが、いざ除草剤を振らなければならない時期になれば、除草剤を手にすることさえ拒否したくなる。まして稲が植わっているところに撒くなど考えたくもない。

どうにか蒔かないでいい方法はないか。しかし、いまさら草をとりおおせようとも思えない。最初に言ったとおり、爺さんの指示に従うか・・・。

そんな思いで田圃を見ていると・・・

他の田圃で40歳代の人が仁王立ちしていた。話を聞いてみればタニシが多い田圃では除草剤を振らないという。稲の生育と水入れのタイミング・調節で大体の草は制御できるとのこと。以外に近くにもいろいろな人がいるものだ。いままで本などで変わったやり方をしている人の記事などで知ってはいたが、光岡地区ではみんな当たり前に除草剤を撒いているものと思っていた。

 

ここ数日は田植えで忙しく、その後もタニシの被害が例年になくでたので、タニシ取りと補植をしていた。今になって除草について本を開き勉強してみた。十人十色どころではない。一人の人でも数通りの除草方法を試行錯誤の中いくつも繰り返している。そこで分かったのは、どんなに素晴らしいといわれる先駆者でもそれを真似ることはできない。自分のやり方を模索するだけである。

何とかなりそうだ、きっとうまくいくという一見しただけでは根拠のない自信が出てきた。その自身には根拠はある。他人には理解できない根拠が。

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