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水稲 Archive

農家集会

23日の夜7時30分に光岡の公民館にて水稲農家だけの集会があった。

先日、溜池の栓が壊れて今は仮で栓をしている状況のため、自由に止めたり出したりできない状況だという。

現在は壊れた栓が最下位のため、その上位にある栓で水が出ている。このまま放水していると、水位が下がり、残るは壊れて栓がされているところのみになる様子。

つまりそこまで水位が下がれば水が出てこない状況になる。

そこで、今後の対応について集会で検討し、どのように対応するのかが話し合われた。

結果として残りの水を放水するために水中ポンプを据えて放水する策を取らざる終えないとのこと。

そのためには発電機をレンタルするだの、市の補助金がでないかなど調整が必要になる。

今年の区長さんと水引さんはいろいろと大変な年に当たってしまわれたわけだ。

日頃の労務と気遣いに感謝する次第です。

竹酢液・にがり 葉面散布 夢つくし1回目

img_5841風の弱くなる夕刻。田んぼで噴霧機を振り回す。

はたから見ると実に気持ちの悪い風景だと思う。それは農薬の散布に見えて仕方ないからだが、最近ではヘリコプターが農薬散布を担っているので個人で農薬の散布をしているこういった風景をみることはまれになってきた。

とはいっても、この写真で散布しているのは農薬ではなく、竹酢液とにがりだ。だからマスクもしていない。去年同様の作業。

田んぼ脇の農道を犬の散歩に通りかかる人はタオルで口を押さえ、犬を抱きかかえて小走りで通過していく。

『活性剤散布中につき無毒』などと書いたのぼりでも立てようか…

田んぼは縦長に100mあるが、動噴のホースをひっぱり、散布しながら歩くのはとても力が必要で困難だ。

先日のミルキークイーンの散布のときには一人で引っ張って先が思いやられた。

しかし、今日はいちごつくっとーとのヒロ君に手伝いに来てもらった。

さすが、ラグビー部のウイングは力が強くグイグイホースを引っ張ってくれる。とても助かった。感謝。

お互いに農家同士手を取り合い共存していく道を模索する仲。まだ今の事にはならないが、将来協力してなにかができるであろう大切な仲間だ。

ミルキークイーン 出穂

img_5804

稲には品種により登熟する時期が異なる。それに伴い穂が出る時期も異なってくる。

ミルキークイーンの出水はまだ出そろったわけではないが予想以上に早かった。登塾が早い夢つくしよりも早く出てきた。

今年はカメムシについての情報がなく、今までもあまり見かけていないので被害が少なくて済むのではないかと思う。

出が思いのほか早かったので13日の夕方、風がおさまってから動噴(動力噴霧機)を積んで田んぼに向かった。

今年も去年に同じく竹酢液を葉面散布するのだが今年は竹酢液に加え、にがりも加えてみた。

登熟期にミネラルを吸収することで米に深みのある味が乗る、のではないかと。

田んぼに向かう途中、近所のおじさんに会うと「お前まだ働くんか??」と驚かれた。こちらは逆に今日が盆の入りだとそこで知って驚いてしまった。

今日は日曜日

まったくそんなつもりはないのだがこころのどこかで「休み」の二文字がくすぶっているのだろうか、がっつり寝坊した。

最近では日が高くなってくると暑くて寝ていられない状態になる。ちょうど小学生の夏休みのように汗をかいて起きてくる。

いつも人は何のために生きているのかを考える。

寝坊して、さらには昼の暑さに仕事に取り掛かれない今日のような日は特に。

img_5401稲はこの太陽の日差しをめいっぱい受けて元気に育っている。

うちの稲は今、他の田んぼに比べて緑がとても濃い。今は慣行農法でいうなれば追肥の時期。化学肥料を追肥する場合は今の時期に葉色が淡くなってきていないといけない。

元肥に入れたのが化学肥料の場合は持続性がないため、今の時期にちょうど効き目がなくなってきて色が薄くなる。

しかし、うちの田んぼはレンゲとぼかし肥料のせいだろうか他の稲の色が薄くなるころに濃くなってきた。

稲はなぜ生きているのかなんて思っていないようだ。

~追伸~

最近お米を買ってくれるようになったお客さんがいる。ちょうど我が家の丘の上にある団地の家。

そのお宅からはブルーベリー畑と水田が一望できる。

今までは新潟、魚沼産のコシヒカリを5kg3800円で取り寄せていたそうだ。

ところがだ、うちのお米がおいしくて仕方なく、買ってくれだして3週間あまりで1kg以上太ってしまったとにこやかに話してくれた。

灯台もと暗しでこれほどおいしいお米がとれていたなんてびっくりしたと。感謝。

当園のフードマイレージ、最短距離は300mほどか。

合鴨農法

img_5247今日は久しぶりのまとまった雨になった。

祖母と話をしていると、連日の晴れの後の雨は畑が潤うからうれしいとなる。これは畑をしているからこうなるが、団地の人はあまりそうは思わないだろうと。

写真はタニシに大きく食べられた自分の田んぼなのだが、水面が多く見えているせいか合鴨が飛来していた。つまり、自分が合鴨農法をしているのではなく、勝手に降りてきてえさ場としているだけ。

合鴨は普通の自然界では存在しえない鳥だ(マガモとアヒルを人為的に交雑したもの)。それがこのように宗像の大地を自由に飛び回っている。

合鴨は秋になると水田から離され、ある程度肥育したら肉としてさばかれる。これは自然界では存在しえない種であるため、放鳥を禁じているからだそうだ。

しかし、去年の7月の豪雨の時にも知人の合鴨水田は水につかり、合鴨は流されていったそうだ。

そんなことがそこそこでよく耳にするため、この前の冬でも川の流れの緩やかなところに合鴨数十羽が群れをなしていた。

無農薬無化学肥料と謳って自然をアピールする合鴨農法だが、こうして自然界の種を脅かす存在になってくるのも事実であることを考えると、

そもそも人間が作り出すものがすべて反自然的とする考え方があること自体、人間中心の物の考え方であることだと思う。

人間も自然の一部であり、こうして自然界に人為的に変化をもたらすことも一種の自然の一つなのではないか。

昨今ブームとなっているECOも、地球を守ると名乗っているが結局は人間の住処を守るということが本来の目的として隠されている様でならない。

2008年に公開されたキアヌ・リーブス主演の映画、「地球が静止する日」には地球外生命体が地球を人間の手から守るためにやってきた。

この映画は人間による人間への警告であるために、やはり事の中心には人間が地球にしていることが問題であると訴えている。人間が地球からいなくなれば地球は自然のままであると。

人間が二酸化炭素を出すから地球の平均気温を上げているのは事実なのだろうが、人間が二酸化炭素を多量に出すようになったこと自体もある種の自然の流れの中であり、いわば仕方のないことだと思う。

ということは、人間が地球を守ろうとすること自体も自然なことなのだと。

しいては、自分が農薬や化学肥料を使わないと決意したのも、自分で決意したのだが、自然と決意するようになっていたと。

すべては自然の流れの中で起きていること。

中干し

img_5341田植え後、30日前後で一度水を抜き、田んぼの土を乾かす中干しという行程がある。

ずっと水が張っていた土の中のガスを抜くためであることが主目的であったはずだが、昨今では収穫時期に田んぼが軟いとコンバインという大型機械がぬかるんでしまうために、今の時点で土を硬くしておくという意味合いが強くなってきているようだ。

水が抜かれて行き場を失ったタニシは土中にもぐって乾燥から身を守る。本来ならこのような状態のタニシはあまり見かけない。

もっと水があり、土が柔らかいうちにすっかり埋まってしまうのかもしれない。そこまではまだ生態を知らない。

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