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2009-12

今年一年を振り返って

年末に向かって手帳が黒々と埋められていたいろんなことを一つ一つ片付けてきて、ようやく紅白歌合戦がテレビに映る。

ふといつもの感じで明日はなにをせんばいかんやったっけ・・・っと机に向かう。

そうや、今年を締めくくらんばいかん。

そこで取り出した農業日誌。2008年12月31日。

「2009年はスタートの年としたい。

自分で考え、自分の気持ちに忠実に、楽しんで生活をする。

春夏秋冬が一年である。

冬は春に備える季節。

春のことを考え準備を怠るな。」

と書いてあった。

ちょうど1年前、無農薬無化学肥料で米を作ろうとする自分の意気込みを思い出す。

思い返してみればいろいろやったなぁっと自分でも半ばアホらしくも、誇らしく思う。

もちろんまだまだ荒削りで無駄が多く、もっと頑張れたことも多々あるだろう。

しかし、自分なりに一生懸命やってきたつもりでいる。そんな気持ちで今年が振り返られて満足だし、とてもありがたい気持ちになる。

スタートの年だった2009年。正直いって100%の成果が上げられたわけではない。

しかし、1歩は前進できたことに感謝したい。

2009年もまた、自分の人生の一部となっていく。

1年間お疲れ様でした。

畑を見せない

今年卒業した後輩に、実家で父とイチゴ作りを一緒にしている後輩がいる。

そこのイチゴは普通では考えられないほどの収穫量、通常の4倍ほどを上げているらしい。

後輩の父は若い頃はいろいろ試行錯誤を繰り返し勉強したそうで、だから今があるのだそうだ。

年をあけてから後輩に畑を見せてほしいとメールしたところ、返ってきた言葉にある種の衝撃を受けた。

それは「基本的に人には見せていないから無理ですね。」と。

普通、農業者であるなら自分の畑を見せるという行為は、面倒ながらまぁしぶしぶながらにせよ引き受け、実際に見に来たときにはいろいろと自慢をしたくなるもの。

しかし、畑とはその人の技術の集大成がそこにあるのだ。

その技術を惜しげもなく披露するということは、たとえば特殊な技法で作られる成品の企業秘密の部分をみせることと同じではなかろうか。

たしかに、農業は畑を見ただけで簡単にわかるものではないのだが、その自分の技術を簡単に見せるほど安くは無い、と言わんとしているのではないかと、自分は思う。

みかん農家の人にも、農業者は自分の技術を他人に簡単に教えすぎだ、と批判する人もいたので、そういった考え方もあるのかとは思っていた。

いままで教えてくださいとその人のところにいくと惜しげもなく教えてくれることが普通になっていた時もあった。

今回の後輩の一言は、そのことを如実に表してた。

もちろん、畑を見せないようにしているのは後輩の父の方針なのだろうが、そんな父親の元で一緒に農業ができることが羨ましく思ったりもする。

植物実験

先日、日田で農家同士が集まってしている勉強会に参加してきた。

この勉強会はすごい。

なにがすごいかというと、すでに栽培に関して特別悩むことはないと思われるほど上手く農作物を作られる方がさらに植物の生理を理解しようと植物実験を繰り返し、お互いに意見を出し合い勉強していることだ。

個々の農家でも勉強熱心な農家はいるが、定期的に勉強会を開くということは珍しい。

その勉強会の主な内容は、1ヶ月前に実験内容についてあらまし決め事をし、個々で植物実験をして持ち寄り、根の量が多いだの少ないだの、葉が厚いだの薄いだの意見を言い合い、何がどう作用したからどうなったのかを確認しあう。

植物の状態を知る方法には見る意外にも食べてみることも大きな一つとなる。

それはトマトであれば、葉を食べてみたり、みかんであれば皮を食べてみたり・・・

元は同じような植物でも栽培方法によりこれらの食味が変わってくる。

実験区では灌水に光合成細菌(PSB)やサイトカイニン(ルートパワー)などの資材を使ったときにどういう違いが出るかを観察する。

もし、ある実験区で一見すると思わしくない状況になったとする。

たとえば、ある種の資材を使った区では植物の背丈が伸びにくかったりしたとする。

しかし、この作用は伸びないから悪いというわけではなく、伸びすぎてしまうときにこの作用を利用すれば徒長を防ぐことができるというように捉えると、それはそれで新たな発見となる。

このような実験を繰り返すことで、徐々に植物整理をつかみ、どんな環境の変化でも植物の成長をいのままにコントロールすることができるのだそうだ。

先日放映されていたクローズアップ現代で、果実の色のりが地球の温暖化の影響で悪くなっているという問題も、植物整理を自在にコントロールする術を身につけていたら恐れることは無い。

img_40681写真は、先日のブルーベリーの穂木を等間隔に切断し、光合成細菌(PSB)・サイトカイニン(ルートパワー)・水のそれぞれの試験区で給水した後に挿し木すると発根に違いが見られるかを実験してみた。

この後も数週間置きにそれぞれの溶液を灌水する予定。

結果が出るのは1年後となるが、サイトカイニンの希釈水を用いた区で発根が一番多いと予想される。

ブルーベリー挿し穂

img_4066先日、熊本まで行ってきた。

ブルーベリーの師匠からブルーベリーの挿し木苗を作るための刺し穂を少しばかりいただいてきた。

写真を見ての通り、自分の身長(183cm)より高いシュート。

こんなシュートが1年で伸びるブルーベリーを想像できるだろうか。まさに驚異的。

宗像ではハイブッシュ系統のブルーベリーは美味しくないといわれている。

本当はラビットアイ系統よりおいしいのが常。

ハイブッシュ系統のほうが宗像では美味しくないといわれる理由が、その作りにくさ。

樹勢が弱く、根が伸びる環境がないとなかなかうまく成長してくれない。

それに加え、ハイブッシュ系統の果実が成る時期がこのあたりでは梅雨とかぶり、水っぽくなり美味しくない。

この2点を克服できればとりあえずはラビットを抜く美味しいハイブッシュになるであろう。

今年、失敗したぶん来年の夏が楽しみだ。

年末の空気も

ここ数日、新年号のニュースレターを書いている、がなかなか文章とは難しい。

そのせいか、「あけましておめでとうございます」と新年になったつもりで考えにふけっていると、年末の空気を感じる。

餅取り粉を買いに行った夕方のスーパーも、外の寒さや慌しさがそれを助長する。

一年が終わる。

地球は太陽の周りを回っているが、ここから先が新年だ!などと地球は思っていないはず。

人は区切りを付け、次に行く。そして、その区切りの多さに時間が流れたことを感じるのだろう。

リアル仕事力

久しぶりに本を1冊読みきった。たぶん1冊の本を読みきったのは2年ぶりくらいだろうか。

大学4年のころからあまり暇が無くなって、ちょくちょく本を買ってはいたが読みきるまで続かなかった。

最近になり、だいぶ余裕も出てきたのか、寝る前や昼休みにちょこちょこっと1冊の文庫本を読んでいた。

1冊といっても200ページにもみたない小さな1冊。「リアル仕事力」

この本は父からのプレゼントだが、今の自分にぴったりということなのか。

この本は21に分けられる仕事の“ちから”について一つずつ掘り下げている。その一つが「生まれと育ちの力」であるが、たぶん父はまさにこの力について自分に言いたかったのではないかと思う。

「今の私」を形作っているものはなにか。

それは持って生まれた遺伝子によるものなのか。それとも幼児期の体験などによるものなのか。

科学的に結論付けられたわけではないが、生まれは育ちを通じて発動するのではないかという見方が紹介されている。

つまり、遺伝的に刷り込まれた性質は育っていく過程で発動の仕方が変わる、と個人的に解釈した。

自分の母親は、毎日重労働をしてくたくたで帰ってくる祖母を見て、百姓の家より普通の家のほうが良い、と思いながら育った。

しかし、普通の家で育った自分はのんびりした百姓の家が良く見えて育ち、代々百姓として受け継がれた福島家の遺伝子が発動した、と。

捉え方はいくらでもあるが、そう捉えていたほうが自分にも有利なので勝手ながらそう思っていることにする。

実際、私の父がどういう意味でこの本をプレゼントしてくれたのか、(本当はただ単にその他の仕事力について知って欲しかったから)かわからないが、久しぶりに本を読みきった清々しさがなんとも快感だった。

宗像市民フォーラムさんに取り上げられました!

宗像市民フォーラムさんのアドレス↓

http://www5.pf-x.net/~munakata44/index.htm

ここの「宗像市民フォーラムNEWS」最新号2~3面に宗像有機農業研究会の一員として載っています。↓PDFファイルです。

http://www5.pf-x.net/~munakata44/image/news-09/09-12.15-6-02.pdf

先日の食味会で取り上げさせてほしいとのことであんまり意味もわからずOKしていたところ、先ほど思い出して市民フォーラムさんのHPを拝見したところ、ちゃっかり写ってました。

写真を取られながらどうなるんだろうと思いつつも変に笑わせられたのではにかんだ笑顔でした。笑

宗像有機農業研究会も若い人は少なく、目立つので自分を取り上げてもらえます。このような境遇に立つ自分はホントにありがたい環境にあることと、自らこのような会に積極的に参加する意欲が自分にはあるのだろうと我ながら少し関心してしまうときもあります。

最近、友達からも「福島は自分のやりたいことをしてるからうらやましいよね」と言われたり、入社1年目の若手銀行マンの方から「自分はしたいことがないんですよ。なんとなくこの会社に入ってしまって・・・」などとつぶやかれたりしました。営業に来ていてそんなことを言われるとこちらが対応に困りますが・・・汗

正直自分でもなぜここまで恵まれた環境にいるのか、なんだか恐くなる時もあります。

本当にこんなに恵まれていていいのか?と考えたりもしますが、考えても仕方がないので感謝してありがたく受け入れようと思います。

ただ、自分は高校の時から自己啓発などの周りの人が読まないような本を読んだり、感謝することの大切さなどの本を読んだりしていたことは大いに関係しているのではないかと、振り返って思うのです。

小学生の頃「本を読むことは大切です」と先生から言われ、マンガの字を読むことすら遅く、兄からズタボロに言われつつも少しでも本を読もうとしていたころまで思い出しました。

後半は長々と物思いにふけっただけのブログを最後まで読んでいただき有難うございます。失礼しましたw

ブルーベリー 木材チップ搬入

img_4063寒風吹きすさぶ中、ブルーベリーの株元を覆う木材チップを今年も搬入した。

バックホーで運搬車に積み、1本ずつ配っていく。おおよそブルーベリー2本に対して1立方メートルの木材チップをかぶせる。

正直、この木材チップについての是非はいまだ良否の判定はあやふやなままだ。

全国の先進的ないくつかの農園では木材チップ栽培を実践されてきているのだが、無くても十分生育するようだ。

他の手法がよかったからといって今からそちらの方向へシフトしてしまうと、今までの手法による結果は途中までとなり、是非の判断はできないままだ。

するなら他の場所で、また新しく植えてから実験してみる必要がある。

今はとりあえず木材チップを大量に敷き詰めた上で、どうやればよい生育になるかを考えるのが先決、と自分に言い聞かせてチップを広げる。

なぜ配達するのか

今日も数件のお宅に配達に行ってきたが、毎度思うのがお客さんのほうがよく知っていて、教えられることの多いこと。

自分の畑で取れて持っていった野菜だが、食べ方などはやはり毎日料理をされているのでいろいろな方法をご存知で教えていただく。

我が家でも祖母が料理をしてくれるが、そこそこの家庭で食べ方が違うので新しい食べ方を知ると早速食べてみたくなったりする。また、他のお客さんにもこんな食べ方があるみたいですョ、といって野菜を勧めることができるのはうれしい。

そんな会話ができるのは直接顔を見て話ができる配達だからこそだ。

先日の勉強会でも営業の面白さを語っていた講師の方が言っておられたことが、まさにこの配達にもいえる。

どんなことでも最後は人と人のコミュニケーションだ。

やはり、農業をしようと思った自分でも、直接販売したいと思う自分の気持ちはここからきているのかもしれない。

F認証 申請準備

今日の夕方、市役所の会議室にてF認証更新申請のための説明があった。

自分は宗像市有機農業研究会という市がバックアップしてくれている団体に所属しているため、市の職員と普及センターの技術指導員の方がF認証取得に関して手取り足取り教えていただける。

来年の1月が水稲の申請時期なので、今から提出書類をそろえる。

栽培方法や栽培場所の変更は無いが、今考えているのは栽培する品種のことだ。

品種の選択によって全然違うお米になることもある。これからの温暖化などを考えると高温耐性のある品種を選ぶべきか、などや自然に近いほうがよいという観点からするなど・・・

いまはまだ決めていなかったが、早々に決めてしまう必要があるようだ。

ぼかし肥料 第2段

製粉機が完成し、大豆の粉砕が完了。さらに1年間貯めてきた米糠に先月作り上げたぼかしが元菌。

時は満ちた。

そして第2段のぼかし肥料を仕込んだ。

今度は前回の約6倍の量。

スコップで混ぜるにはちょっと多いがこれくらいで負けてられないな。

でもぼかし肥料も肥料屋さんのすばらしいぼかしがある。それを買ったほうが手間が省け、他の作業に時間を使えることを考えるといいかもしれない。

でも、やっぱり自分でなんでもしたい性質なんだろう。ぼかし作りがどうしようもなく楽しい。

  • 2009-12-14 (月)

水は生き物にとって重要な元素だが一概に水といってもいろいろな水があるようだ。

世間にはアルカリイオン水だの海洋深層水だの派導水だの電子水だの井戸水だの湧き水だの雨水だの上水だの清水だの・・・

いろいろな敬称で呼ばれているこれらの水。

いったい何が違うのか。

農業の分野においても普通とは違う水を使って育てることで作物が全く違ったものに育つと謳うものがある。

正直いってなにが本当なのか全くわからない。否定をするつもりはさらさらないが、違和感を覚えて仕方が無い。

うん十万円もする装置。いったいなにが違うのか。

水という分野は結構研究がされているのか、その手の商品の多さだけを見ると進んでいるように見えるが、実際中身のないものが少なくないように感じる。

水が違うことで生き物が違ってくることは確かだろう。それは食べものが変わると人体も変わることと同じように、一番多く摂取するものが水であることで、むしろ一番変化が現れやすいものであることには察しがつく。

「ありがとう」と声をかけた水と、「バカやろう」と声をかけた水の結晶は全く違うという結果もあるようだ。

面白すぎて笑うしかないが江原さんが人のオーラが見えるのと同じで、この世には神秘的としか言い表しようのないこともある。

とりあえず水とはまだ人知の及ぶものではないようだ、ということにしておこう。

300回目の投稿は現在の私において一番つかみにくい事象について記しておく。

水だけに。

製粉機完成!

img_40561今年の夏に中古の製粉機を譲ってもらってきてからずっと台座が無い状態でホコリをかぶっていた。

もともとぼかしづくりの原料、大豆などの穀物を粉にするために購入したため、この時期にならないと必要性はなかったのだが、

ほこりをかぶっている製粉機を横目に見ながら仕事をしていた夏は早く台座を作ってやりたいとずっと思ってきたが、どうやって台座を作ろうか思慮していたところだった。

そこに、先日我が家にエコキュートがきたために不要になった太陽温水器を降ろしたところ、屋根に乗っていた温水タンクの台座がまさにがちょうど良い高さだった。

この台座のアングルを切ったり溶接したり、穴を開けたりしながら2日ほどかけてやっとこさ完成させた。

そこへ、ちょうど注文していたくず大豆が到着。早速大豆を製粉してみたところ申し分ない使用感。

これで来年のぼかしも安泰だ。

一斗枡

img_0381

これまた我が家の宝物。

戦時中、私の曾祖母にあたるおばぁちゃんが天秤でお米を量り売りしていたそうだ。

買いに来る方は八幡のほうからわざわざ汽車にのって来るのだそうだ。赤間駅から30分はあろうかというこの光岡までわざわざ米を買いに来る当時、米はとても貴重なものであったことはいうまでも無い。

ある時、15くらいと思えるような男の子が米を買いに来ていたとき、米の底を足の指でちょいっと持ち上げておばぁさんをちょろまかしているのを祖母は見ていたそうだ。

おばぁちゃんはたぶん、何もいわなかったが男の子が足でお米をあげているのに気づいていたようだと祖母はいう。わざわざこんな田舎までお米を買いに来るんだからと、おばぁちゃんなりの気遣いだったのだろう。

この一斗枡が倉庫から出てきたときにそんな昔話しをしてくれた。

img_0382側面には焼印で「一斗」という文字と紋章、その下には「フクオカ」と書かれているようだ。

この焼印が、容器の容積が一斗であるという役所かなにかの検査証のようだ。

お米を山盛りに入れ、写真にある棒ですりきって測る。

ちなみに1斗は10升、お米を入れると約15kg。体積は18.039リットル。

この一斗という体積からポリタンクの18リットルの容器が作られたようだ。(ウィキペディアより)

中国では一斗はちょうど10リットルと改められているようだ。

古すぎればまた捨てられない

img_0327最近片付けをしていて、ついにお宝を発見してしまった!

とはいっても全然宝ではないのだが、昔の和服がいろいろと出てきた。

それほど上物でもないのだが、虫食いは年代から考えれば少ないほう。今では滅多に見られないような当時の着物。

物とは不思議なもので、中途半端な古さはなんにも魅力を感じないが、ある一線を越えると愛着を覚える。やはり日本人だからか。

img_0328絹の帯だそうだが、やはり今から帯としては使えない。

しかし、捨てるにはなんだかもったいないところだ。

祖母も、もう数年前にこのような着れがでてくればいろいろ手芸に使えたのに、と悔しがっていた。

自分としてもこの生地でなにか巾着でも作ってくれればなぁと思うところ。

そこで、もし手芸をされるような方にお譲りしたいと思う。

また次の生を受けて使われるときがくればこの着物たちも喜んでくれるのではないだろうかと、人間の私は勝手に思うのであった。

ご入用の方は連絡を下さい。

img_0333このほかにもまだいろいろあります。

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